2018.05.22 執筆
2018.06.08 公開

Academy

 ファルシの統治によって発展してきたコクーンは、つまるところ、人にとって快適な生活環境が保証されていると言っていい。
 暑すぎることもなければ、寒すぎることもない。コクーン自体が人間を培養する巨大な繭であったことを考えると、それは至って合理的だ。人口の母数を増やすことが目的なら、人間に照準を合わせた環境であることが最も手っ取り早い。
 そういうわけで、コクーン生まれのコクーン育ちであるホープ・エストハイム主任率いるアカデミー調査団は、グラン=パルスの気まぐれな気候にすっかり辟易していた。
 如何せん、気候の予測が立たないのだ。コクーンのようにコンピューターで完璧に制御されているならばいざ知らず、グラン=パルスは、その日のお天道様の気分次第。酷い日照りになる日もあるし、何の前触れもなく土砂降りに見舞われたりもする。しかも、今回の調査対象はヤシャス山だ。山の天気は変わりやすいというその言葉通り、天候はコロコロとまるで乙女のように機嫌を変える。
「あっつい……」
「これ脱いでもいいかー」
「アホか。なんのための装備だ」
「んでもよー、あっついもんはあっついんだよ!」
「はー、あっつい……」
 切実な呟きが、誰ともなく零れ落ちる。
 じりじりと容赦なく照り付ける太陽の光は、着実に団員たちの体力を奪っていた。
 それでなくとも、未踏の大地、パルスの調査という名目で派遣された調査員たちの装備は多いのだ。おまけに彼らは先方隊という立ち位置。パルスの経験のあるホープ主任の指示のもと、重機を導入しなかった今回の調査団は小回りが重視されて、移動も基本が徒歩だ。コクーンのように便利な空調設備も、快適な乗り物も何一つない。分かっていたこととはいえ、不便を強いられる行程に悪態の一つや二つ付きたくなるのは仕方のないことだろう。
 今回の調査団を任せられたホープは、思わず苦笑した。数年前、初めてパルスに降り立った時も同じようなことを仲間たちがぼやいたことを思い出したからだ。
「おい、主任が見てるぞ」
「やっべ」
 慌てて姿勢を正す、そう年の変わらない団員たちを前にホープは襟元を緩めてみせた。そうして、ゆっくりと顔を上げる。
「本当、暑いですね。上着は脱いじゃいましょう」
 そう口にしてさっさと、アカデミーから支給された制服の留め具を外してしまう。
 開発部から支給された時「何があるか分からないから、絶対に脱がないでくださいね」と念押しされたものだ。開拓が進んだとは言え、パルスは地獄と呼ばれてたんですから、装備を十分整えるように。そう告げられて、もっさりと着こんだ制服を、主任自らがさっさと袖を抜いている。
「いいんですか……?」
 目を丸くして呆気にとられる団員を前に、ホープは人懐っこく目を細めて笑った。
「もちろん装備は大事だけど、パルスはコクーンの環境とは全然違うからね。逆に熱中症になったりしたら意味がないし、環境に合わせることは大事だよ」
 すぽんと上着から首を抜いて、ホープは朗らかににそう言った。制服を脱いだ、その下。グレーのTシャツから覗く二の腕や胸板は、優男風な見た目に反して意外にもしっかりとしている。地獄の真っただ中で、あっけらかんと装備を脱ぎ捨ててしまった主任を前に、団員は目を瞬かせて、それから大口を開けて噴き出した。
「インテリ気取りかと思ったら、主任、やるなあ!」
 調査団の中では少し年のいった団員が、にやりと口元を持ち上げると、ホープにならって上着を脱ぎ捨てる。それを見て、俺も俺もと、暑さにへばっていた団員たちは次々と上着を脱いでいった。元々、パルスの調査団として結成された先方チームということもあってか、肉体派のあらくれたちが多い。窮屈な制服から解放された筋肉が目の前に並んでいるのはある意味壮観ともいえるだろう。いつもはホープの補佐についているアリサ・ザイデルも、データ解析の役割を請け負い、アカデミーに待機ということもあってか、ものの見事なまでに男臭い団体になっている。
 要するに女性の目がないので、同性同士のなんとなく気安い空気感が漂っていた。
「暑いことには変わりないが、ちったあマシになったな」
「もちろん魔物に気を付けるに越したことはないですけど、用心ばかりで参ってしまっては本末転倒ですから」
 隣では、総帥の一人息子だということもあって、二世だとかインテリ気取りだとかあまり好ましくない前情報が飛び交っていた当の本人は、人好きのしそうな笑みを浮かべて目を細めている。こうして見れば、ごくごく普通の青年だ。
「はは、違いねえ」
 ホープに釣られるようにして男も笑う。
 見上げた空は、雲一つない快晴。照りつける熱線には相変わらずで辟易してしまうものの、案外悪くない調査なのかもな、と男は小さく口元を緩めてみせた。
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