2019.12.01 公開

#23

 多くの人を巻き込んだパルスでの騒動から、約一ヶ月の時間が過ぎようとしていた。
 二月十四日のバレンタインデーに始まった旅。振り返れば、事の始まりも二年前の二月十四日だったように思う。
 セラは妊娠六ヶ月目となった。お腹の男の子も順調に大きくなっているらしく、きっと賑やかになるね、と目を細めて笑っていた。
 もうすぐ二歳になる最初の子も、元気いっぱいらしい。元気過ぎて大変なのよ、とどこか遠い目をしているセラとは対照的に「イヤイヤ期に入っちまってよ」とスノウはなぜか楽しそうだ。最近はパンツを履くのも嫌がるんだぜ。ほーら、ちんちんぶるんぶるん~。きゃあきゃあと騒いでいる父と息子は、その後ろから「お下品!」とセラに小突かれていた。
 数年前にパルムポルムのフィリックス街で見かけた『家族みんなで明るい生活』を文字通り体現しているらしい。NORAのメンツも相変わらずで、スノウとセラたちと共に元気にやっているそうだ。
 サッズも変わらず子煩悩な父親らしい。とは言え、ドッジもずいぶんと大きくなったそうだ。すでにスクールに通う年齢になった彼は、そのひょうきんなキャラクターで学校でも人気者らしい。だんだん面構えも父ちゃんに似てきたんだぜ。もうちょっとイケメンになれば良かったのによお。そう言いながらも、久しぶりに会ったサッズはどこか誇らしげだった。
 アカデミーの調査隊は、今回の一連の騒動を起こしたアルフレッドを捕縛した。
 動いたのは、旧ファロン隊に所属していた隊員だ。ホープがパルスに降りる前に、様子を見に来た彼が主導になって動いたそうだ。ずっと気がかりだったけどよ、まさかこんなことになっちまうとはな。彼は苦々しくそう呟いたことが印象的だった。もっと違う形で彼に手を差し伸べることができていたのならば、ここまで道を踏み外すことはなかったのかもしれない。
 しかし、アルフレッドが作り上げたドラッグが多くの人を狂わせたという事実は変わらない。一連の調査が完了すれば、彼はコクーンに引き渡され、法によって裁かれることになるだろう。しかし、アルフレッドはまだ若い。次にやり直すチャンスが巡ってきたその時は、悪魔の花の力には頼らず強く生きて欲しいというのは、流石にエゴだろうか。
 人生はままならないことだらけだ。どんなに順風満帆に見える人にも、思いがけない転落に出会うことがあるし、逆にどん底から何かを掴む人だっている。平凡に、淡々と。そう意識していたとしても、人には転機というものが必ず訪れる。その時選択したものが、良かったのか、悪かったのか。選択を迫られる時は、案外分かっていなかったりするものだ。
 幾年か時が過ぎ、振り返ってはじめて「あの選択があったから、今がこうなのだ」と分かることの方が多いのだろう。
 エクレールもそうだった。
 二年前の二月十四日。あの日が多分、エクレールにとってのすべての始まりで、選択を迫らた運命の一日だった。
「ライトさんを抱きしめたい。叶う事なら、キスしたい。戦うことをライトさんが選ぶというなら、せめて見送る権利が欲しい。いってらっしゃいと見送って、おかえりなさいって笑いたい」
 瞼を閉じれば、真摯なエメラルドグリーンの瞳を向けてくれた十六歳の少年の姿が思い浮かぶ。なんてことはない、ただの弟分のような存在だと思っていた。彼に会いに行こうと思ったのも偶然で、顔を合わせたのだって半年ぶりだった。
 好きなんだと言われた。
 好きなようだ、なんて曖昧な答えで返した。
 ――あれから758日が過ぎた。今はもう、まったく違う気持ちでエクレールはここに立っている。
「エクレール、入ってもいい?」
 ノックの音がしてエクレールは顔を上げた。「入っていいぞ」と声をかけると、ゆっくりと扉が開かれるのが分かる。まもなく、見慣れない白いタキシードに身を包んだホープの姿が現れた。
「似合っているじゃないか」
 細身で身長もあるホープは、モデルの体型に近い。カジュアルな衣装も似合うが、フォーマルもまた違った趣がある。なにより、髪の毛の淡い色と相まって、明るい色合いはホープによく似合っていた。
 目を細めるエクレールとは対照的に、彼の方は目の前の光景に魂を奪われたように微動だにしていない。おまけに口をしまい忘れたのか、半開きのままだった。
「……」
「……何か言ったらどうなんだ」
 流石に居た堪れない。観念してエクレールが声を上げれば、それでようやくホープの意識は戻ってきたようだった。
「いや、あの……綺麗すぎて、どう口にしていいのか分からなくて……」
 普段は饒舌なくせに、こんな時に限って言葉は出てこないらしい。まるで初心な少年のように真っ赤になったホープに釣られるように、エクレールもまた頬を赤く染める。
「素直に綺麗でいいんだ、馬鹿」
「うん。……世界で一番綺麗だよ、エクレール」
 それは言いすぎだ。純白のドレスに視線を落として、恥ずかしそうにエクレールは口にする。
 繊細なレースとたっぷりとした光沢のある布地を重ねて作られた正統派なドレスは、自分でもそう悪くないと思っていたが、ここまで手放しに褒められると流石に照れ臭い。
 エクレールはちらりと視線を上げてホープを見た。熱を帯びた視線を感じる。彼はゆっくりとエクレールの頬に手を伸ばして、そして――…。
「……いいところなのは分かるけど、私のことを忘れないでね」
 こほん、と咳払いをして居住まいを正したのはセラだった。あと、式の前にキスしたら口紅落ちちゃうからね。ごもっともな意見だ。
 エクレールは慌てて姿勢を正した。対するホープの方は何やら名残惜しそうだ。一見、主人を待つ忠犬のような表情にも見えるが、侮ることなかれ。犬は犬でもこの犬は狼の方であることを、エクレールが一番よく分かっている。
「でも、ホープ君の言う通り。お姉ちゃん、とっても綺麗だよ」
 深紅の薔薇の生花で作られた豪華なブーケに繊細で美しい純白のドレスは、今日という日の主役であるエクレールにこれ以上なく似合っている。手放しの妹の賞賛に、エクレールは花が綻ぶように「ありがとう」と微笑んだ。
「新郎様、新婦様、ご準備は出来ましたでしょうか」
 まもなく時間です。かっちりとしたスーツに身を固めたボーイが、控えめなノックと共に姿を現したのが分かった。
「……いよいよですね」
 そう多くはないものの、この先にはエクレールにもホープにも馴染みのある人たちが、二人の登場を今か今かと待ち構えているのだろう。ホープの言葉に、エクレールは挑発的な瞳を向けて口元を持ち上げてみせる。
「怖気づいたか?」
「まさか」
 どうやら相手も望むところらしい。そんなホープの腕にごく自然な仕草で腕を絡めて、エクレールは目を細めた。
 思えば、ここまでの道のりはけして短くはなかった。
 二月十四日。ホープから告白を受けた。
 三月十四日。ライトニングの家の鍵を贈った。
 三月三十日。任務中に消息を絶ち、ライトニングは失われた。
 二年後。再び二月十四日。エクレールとホープはパルスで再び出会った。
 二月十五、十六日。マハーバラ坑道。スーリヤ湖。そして、綿毛の舞う丘を歩く。
 二月十七日。テージンタワーで離れ離れになる。そしてエクレールは失くしていた記憶を取り戻した。代わりにホープが意識を失い、エクレールはチョコボに彼を乗せて、これまでの道のりを引き戻すようにしてひた走る。
 二月二十一日。目を覚ました二人は結ばれて。
 ……そして、三月十四日。
 エクレールは顔を上げた。その先には愛しい人の幸福で輝く笑顔がある。
 人生は選択の連続だ。何が正しいかなんて、その時は分かりようもない。
 ……だけど、叶うものならば。この愛しい人を抱きしめて、キスをして。出かける時はいってらっしゃいと見送って、帰ってきた時には、おかえりなさいと笑って迎えたい。
 そういう未来を掴み取りたいと、心から願う。

「それじゃあ、行こうか」

 どちらともなく頷いて、扉を開く。
 君と過ごした758デイズ。――その先の向こう側へと。

FIN.
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