2019.12.01 公開

#18

『エクレール・ファロンは預かった。彼女を返して欲しくば、イチイチゼロゼロにテージンタワーの掲示板の前まで一人で来い』
 非通知からの着信だった。不審に思いながらもコミュニケーターを取ったホープに対して開口一番発せられた声だ。
「……エクレールさんがそこにいるという保証は?」
『信じる信じないはおまえの自由だ。ただ、おまえが定刻になっても現れなかった場合、彼女は二度と帰ってこないと思え』
 そこまで一方的に告げて、着信は打ち切られる。もはや音を拾わないコミュニケーターを握り壊しそうになりながら、ホープは静かに顔を上げた。
「おい、ホープ。あんたまさか、掲示板まで行く気なのか……?」
「エクレールさんが囚われていると分かったんです。今のあの人が、自力でどうにかできる状況じゃない」
「クポ! エクレールが危ないクポッ!」
「そんなの聞いてりゃ分かる! だが、賭けてみたっていい。そりゃ罠だ! 何が起こるか分かったもんじゃない!」
 ホープ。おまえさんの身に何が起こるか分からないんだぞ。そう諭すのは、バクティの持ち主でもある医者の男性だった。
 エクレールの姿を探せども、どこにも見つからない。手がかりを得られないかと、ホープのことを狙ってきた三人組に事情を聞きに、医者の診療所までやってきたところだった。
 程度の違いこそあれ、彼らは薬物依存の反応が現れていた。見てしまった以上、このまま放っておくわけいかんだろ。診療所まで運ばれた彼らから、何か情報を得られないかと考えたのだ。しかし、情報はホープの思ってもみなかった形で飛び込んできた。
「犯人がどこのどいつかは分かりませんが、相手の狙いが僕だというのは分かっています」
 三人のチンピラ男は、ホープがバルトロメイ・エストハイムの息子であるということを知っていた。ということは、情報を与えた黒幕が存在するということだ。事を起こした犯人はホープの素性を知っており、それを利用しようとしていることが推測される。そうなると、相手は臨時政府に不満を持つ反組織か。はたまた身代金としてのギル目当ての小悪党か。
 いずれにせよ情報が少なすぎて、現時点で判断することは難しかった。とは言え、相手の狙いがホープであるということは明確だ。エクレールはホープと同行していたために巻き込まれてしまったに過ぎない。
「エクレールさんを危険に晒すわけにはいきません」
「だからっておまえさんの命がどうなるか分からないんだぞ! 言っておくが、今のテージンタワーの治安は良いって訳じゃない。あんたもドラッグに手を出した奴らを見ただろう?」
 闇市が横行し、ドラッグの快楽に溺れて何もかもを不意にしてしまう奴らが後を絶たない。パルスで一攫千金を夢見た奴らが、夢破れて堕ちていく様を何度も目にしてきた。
 彼はなおも言葉を続ける。
 コクーンのような環境と同じと思っちゃいけない。裏でどんな奴らが繋がっているのか分かったもんじゃないんだ。女はまだ価値があるから生かされる場合が多い。だが、男は違う。すぐに殺される。場合によっちゃ、命が落とす事になるんだぞ。
 必死で説得をする男性を見ていると、なんだかかつての仲間の姿を思い出してしまう。あくまで気遣ってくれる気のいい彼を前に、ホープは目を細めて微笑んだ。
「会ったばかりの僕のことを心配してくれるんですね」
「当たり前だろうが! 俺は医者だ! わざわざ危険に突っ込もうとする馬鹿を止めないやつがあるか!」
『ホープさんは私の恩人です。助けてくれた人に感謝を。それはロボットも同じです』
 男性だけでない、バクティもまたカチカチと動きながら音声を発してみせる。
 思えば、ホープは人の縁に恵まれた。サッズやスノウはもちろんのこと、騎兵隊の先輩だってそうだ。彼らは何度も暗がりの中に落ちていきそうなホープを引き止め、励まし、時に気をかけてくれた。彼らはホープ・エストハイムとしてでなく、ホープ個人を無条件に案じてくれたのだ。
「ありがとうございます。……だけど、僕は命を捨てに行こうとしている訳じゃないんです」
 ホープは顔を上げた。左手をぎゅっと強く握り締める。
「大切な人が危険の中にある。それが分かっていて、みすみす置いていくことなんてできません。そんなことをしてしまったら、今度こそ僕の心は壊れてしまう」
 それは生きてはいるかもしれないけれど、死んでいるということと変わらないでしょう。静かに言葉を綴るホープの瞳にはすでに覚悟の光が灯っている。
 もはや彼に何を言っても聞かないだろう。ほとんど直感的に悟って、男性は呻いた。
「おまえさんは、そこまで……」
「あの人のことを愛しているんです」
 この気持ちはリングを贈った瞬間から何も変わりはしない。言葉はあまりにも自然にホープの口から紡がれた。気恥ずかしいだとか、そんなものはなかった。
 ホープ・エストハイムはエクレール・ファロンのことを愛している。
 それはホープの胸の中に宿る、不変の真実だ。
「……よくもまあ素面で言えるもんだ」
「これが僕の素直な気持ちですから」
「確かに、好いた女も助けられないようじゃ、男が廃るな。約束してくれ。……無茶だけはするなよ」
 諦めたように苦く笑う男性を前に、ホープもまた微笑み返してみせる。そうしてホープは腕時計に視線を移した。時刻は十時四十五分。ぼやぼやしている暇はなさそうだ。
(……どうかご無事で)
 交渉に入るまでは、彼女は重要な人質のはずだ。無事であることを祈りながら、ホープは顔を上げた。
「連絡先を知っていたことから察するに、相手はすでに僕がここにいることも知っていると考えていいでしょう。コミュニケーターを使って外部に連絡を取るのも駄目です。恐らく傍受されています」
 そこまで口にして、ホープは目を細めてみせた。
「善意のあなたがたを巻き込むことは僕の本位ではありません。ですから、あなた方はいつも通りにしていてください」
 行動を起こすことは、あなたがたを危険に巻き込むリスクを高めますから。そこまで口にしたホープに、モグが静止の声を上げた。
「クポッ! ホープ、一人で行っちゃうクポ……?」
「相手の要求は僕一人、ということだったからね。……代わりにモグ、一つ頼みごとをしてもいいかな?」
「クポ?」
 ホープの言葉にモグは首を傾げてみせる。やがて彼は、大きく頷いて返事をしてみせたのだった。

   * * *

 抜けるような青がどこまでも続いている。
 太陽の光を浴びて煌く水面。風に揺れる草木。遠くにはクリスタルに支えられた巨大な繭の姿がある。
 夢はいつもここから始まっていた。赤いマントを翻しながら高台を登っていくライトニングが、その先でプラチナブロンドの髪を持った少年と出会うのだ。彼はライトニングを見て、否定する。そうして彼女は酷く悔やむことになるのだ。
 夢だということが分かっているのに、醒めない夢。いつも不安を掻き立てられて、エクレールはその度にじっとりと嫌な汗をかいて目を覚ます。きっと今回もそうだろう。ため息を吐いたエクレールは、不意に今回の自分は真紅のマントを身に纏っていないことに気がついた。
「あれ……?」
 何かが違う。直感的にそう感じて、エクレールは周囲を見渡した。
 高台の風景はいつも見る夢の様子と変わらない。しかし、エクレールの目の前には、真紅のマントを身に纏った自分と瓜二つの顔を持つ女性が立っていたのだ。
 彼女の髪は肩口に収まる程度の長さだった。その頃の彼女がどう呼ばれていたのかは、すでにエクレールは知っている。
「ライトニング?」
 呆気にとられるエクレールとは裏腹に、ライトニングはエクレールのことを認識していないようだった。目線が合ったというのに彼女の瞳はエクレールを通り過ぎて、その奥の風景に向けられている。
「あっ……待って!」
 さくさくと早足で高台を歩いていくライトニングを、エクレールは慌てて追いかけた。夢の中では足の後遺症は残っていないらしい。かなり早いスピードで進んでいくライトニングをエクレールは飛び跳ねるように追いかけていく。
 どうやらライトニングは目的を持って歩いているらしい。迷いのない足取りで進む彼女は、やがて高台の上にまで辿り着いた。
 それは夢の中で幾度となく目にした光景だ。そうしてライトニングは、ホープの面影を残す不思議な少年と出会うのだ。
 高台の上には確かに人影があった。それも夢と同じだ。だけど、今回に限っていつもと異なる点があったのだ。
「大人……?」
 夢の中で何度も出会った彼は、少年の姿をしていたはずだ。しかし、高台の上に立っていたのは少年ではなく、れっきとした青年の姿だ。それもいつも見かける色鮮やかな衣服ではない。いかにも守りの硬そうながっちりとした装束を身に纏っていた。
 彼がライトニングに気が付いて顔を向ける。その瞳の色は目の醒めるようなエメラルドグリーンではなく――灰色だった。
「おまえは本当にこの場所が好きなんだな」
 苦笑と共にライトニングが口にする。そうすると、驚いたように目を丸くして青年は飛び上がった。
「ファ、ファロン大尉!?」
「ライトニングでいいと言っただろう」
「あ……す、すみません。ライトニングさん」
 呆れたようにライトニングがそう口にすると、慌てて彼はプラチナブランドの髪を掻いた。
 なんだか随分とかしこまっているのね。ライトニングの様子を終始伺っている青年を前に、エクレールは思わず首を傾げた。どうやら今回の夢は、いつもと様子が違うらしい。
 ライトニングは青年のことを随分と目にかけているようだった。
 言葉を発するだけでも精一杯な青年を前に、何かと世話を焼いているように見える。エクレールにはその理由に心当たりがあった。
 青年はどことなくホープに似ているのだ。彼もまたライトニング同様にエクレールのことを認識できないようだったが、もし話が通じるなら、彼のことを気にかけてしまっていたかもしれない。青年にはそういう純朴さと初々しさがあった。
「そんなにここから見える景色が気に入ったか?」
「はっ、はい!」
 ライトニングの言葉に、緊張しているのか青年の肩がぴっと上がるのが分かる。気を張ってばかりでは疲れてしまうだろうに。どうして彼はこんなにもライトニングの様子ばかりを伺うのだろう?
 そこまで考えてエクレールはピンときた。直感が働いたといってもいい。青年は――ライトニングのことを好ましく思っていて、つがいになりたいのだ。だから彼はいいところを見せたいと思っているし、ライトニングと話すことに気を張っている。
 一度そうだと気が付くと、青年の態度のあらゆることに納得がいった。程度の差こそあれ、その気持ちはエクレールにとってよく分かるものだったからだ。
 ホープは大抵のことを何でもないかのようにそつなくこなしてしまう。そんな彼に追いつこうと精一杯背伸びしなければならないエクレールと、青年の行動はどことなく似ているのだ。だから親近感を覚えるし、一生懸命な姿を見ているとなんだか応援したくなってしまう。
 とは言えライトニングのつがいはホープだったはずだ。そう考えると、すでにつがいを作っているライトニングに一生懸命アピールしている青年がなんだか気の毒になってしまう。
 青年は、緊張していることを自身でも自覚しているのだろう。胸に手を当てて息を吸ったり吐いたりしている。やがて落ち着いたのか、彼は息を吐くと言葉を続けてみせた。
「ここからだとコクーンがよく見えるんです」
 そうして彼はクリスタルに支えられた巨大な繭を指差して、はにかんでみせた。
「みんな元気にしてるかなあって」
「……やはり恋しいものか」
 口にする青年を前に、ぽつりとライトニングがそう零せば、彼は「まったくないと言えば嘘になりますけど……」と言葉を続けてみせた。
「それでもやっぱりパルスはわくわくします。僕らの活動が、コクーンのこれからの発展にかかっていると言っても過言ではないですから」
 責任はあるけどやりがいのある仕事です。そんな仕事にファロン隊として関われているっていうのが、僕、嬉しくって。
 そこまで饒舌に喋ってから、青年は青臭いことを言ったのだと自覚したのだろう。照れ臭そうに鼻の頭を乱暴に掻いた。
 はにかみ笑いをすると、いっそう雰囲気がホープに近くなる。ふわふわと揺れるプラチナブロンドの髪を見ていると、エクレールは無性に切なさが込み上げてきた。彼は、否応なくホープのことを思い起こさせるのだ。
 それはライトニングも同じだったのだろう。しかし、エクレールの見立てでは彼女は青年の想いには気が付いていないに違いなかった。それがライトニングと青年の立場がそうさせたのか、彼女自身の問題だったのかまでは分からない。ともかく、ライトニングは顔を上げた。
「私たちがやっていることは、例えそれが小さな一歩でも、次の誰かに繋がるものだと思っている」
 コクーンの前進だなんて大それたことは言わない。ライトニングの手が届くのは、あくまで自身にとって大切な人たちだけで、それ以上は手に余るものだからだ。
 理想を熱く語るにはライトニングは現実主義すぎる。だけど、未来を目指して今あの場所で頑張っている人たちがいることを知っていた。そういう人たちに誇れる自分でありたい。ライトニングは言葉を続ける。
「ひいては大切な人を守ることに繋がると信じている」
「それは……ご婚約者のことですか?」
 伺うように口にした青年を前に、ライトニングは目を丸くして彼を見つめた。それだけライトニングにとって青年が話した話題は意外だったのだろう。
 傍から見ているエクレールとしてはもどかしくなる一方だった。青年は明らかにライトニングに好意を寄せている。そして、ライトニングにはすでにつがいがいることも知っていたというのだ。それはなんて不毛で辛い恋だったのだろう。
 ホープはかつてライトニングとつがいだった。それは実質的にはイコールでエクレールとなるはずなのだが、エクレールにとっては微妙に意味が異なる。
 エクレールはホープのことが大好きだ。だからこそ、ライトニングに取られたような気がして、苦しくなってしまう。眉根を寄せる青年の苦悩が、エクレールにはまるで透けて見えるようだった。
「そうだな。……雰囲気は、少しだけおまえに似ている。だが、大切なのはあいつ……ホープだけじゃないんだ。コクーンには私の妹や、もうすぐ生まれてくる妹の子供もいる」
 それは彼女の妹であるセラのことだろうか。
 エクレールはセラのことを知らない。だけど、彼女のことを語るライトニングの表情は驚くほど優しい顔をしていた。エクレールがホープのことを大好きなように、ライトニングもまたセラのことが大好きなのだ。そういうことを無条件に思い知らされる表情だった。
 喋りすぎたな、とライトニングは照れくさそうにはにかんだ。過保護だと言われるのだが、妹の話になるとついな。そう続けて、ライトニングは青年に会話のボールを返してみせた。
「そういうおまえは恋人はいないのか?」
「……大尉、じゃなかった。ライトニングさんがそういうことを言うとは思ってませんでした」
「なんだ。私がそう言うのは柄じゃないか?」
「確かにちょっと予想外だったかもしれません」
 そこまで口にしてから、ようやく少し青年は相好を崩してみせた。先程から緊張してばかりで、すっかり強ばっていた彼がようやく零した押し殺したような笑み。その意味を理解して、エクレールは思わず叫びたくなった。
 好意を向けてくれている人に、なんということを言っているの、このにぶちん!
 元自分とは言え、あんまりなのではないだろうか。青年に対して無神経な返し方をするライトニングに、エクレールは頭痛がしそうだった。
「私だってそこまで人間味がない訳じゃないぞ」
 おまけに見当違いなことを言っているし。そうじゃないでしょ!
 エクレールはライトニングのことを知らない。記憶がないのだから当たり前だ。とは言え、優秀で、少々独特なところがあることを除けば、魔物さえもあっさりと倒してしまうとてつもない女性というイメージは、このあんまりなやりとりで一瞬の内に四散してしまっていた。
 大体、ライトニングが微妙な男女の機微に疎いところがあったというのは初耳だ。
「……恋人は、残念ながらいませんよ」
「へえ、もてそうなのに」
「全然! 僕、そのあたり昔から要領悪くて……」
 そう口にして、青年は眉根を寄せたが、それは謙遜なのだとエクレールにはすぐ分かった。そもそも、この手のタイプはもてる。それはテージンタワーの行く先々で歓迎されていたホープを見れば明らかだ。特に青年のような人懐っこさがあるならば、さぞかし年上の女性にもてたに違いない。
 ライトニングもエクレールと似たような感想を持ったのだろう。彼女は少しの間考え込んでいた。やがて、何かを決心したように顔を上げる。
「せっかくだ。少し話を聞いてもらえないか?」
「話……ですか?」
 不思議そうな表情になった青年を前に、ライトニングは「そう難しいことじゃない。一般的な意見を聞きたいだけだ」と言葉を結ぶ。
「私の友人の話なんだが、気になってな」
「そういうことでしたら……」
 そう口にして、居住まいを正したアルフレッドを前に、エクレールは何だか嫌な予感がした。そしてその予感は、まもなく的中することになる。
「その友人は、最近恋人ができたらしい。仲も良好で、相手の親とも面識がある。ゆくゆくはこのまま結婚も考えているそうだ」
 友人だなんて枕詞を付けてはいるものの、どう考えてもそれはライトニング自身の話ではないか。エクレールは今度こそ額に手を当てて呻き声を上げた。
 このにぶちんは、よりにもよって自分に好意を向けている相手に向かって、恋愛相談をおっぱじめてしまったのだ。
 あくまで生真面目にライトニングの話を青年は聞いている。そんな相談なんて聞かなくていい。そう口にしてやりたいのに、彼は元来真面目な性格なのか、しっかりとライトニングの話に相槌まで打っている始末だ。
 エクレールの悲痛な訴えは届かないまま、二人のやり取りは進んでいく。やがて、ライトニングは緊張した面持ちのまま、言葉を続けてみせた。
「問題は友人の恋人がかなり年が離れていることだ。彼女は成人しているのだが、相手はまだスクール生らしい」
 お互いに真剣だから応援してやりたいと思うのだが、なにせ相手は未成年だ。周囲から見て二人がどう思われるのか少し心配でな……。
 ぽつりぽつりと零すような言葉だった。それで、なんとなくエクレールは勘づいてしまう。エクレールもまた、青年同様に誰にも言えない悩みを抱えていたということを。
 好き同士ならそれでいいのではないかとエクレールは思う。実際、ライトニングはそういうことを気にしなさそうに見えた。彼女は世間の目を気にするよりも、自分の身の回りにいる人たちを優先する人物のように思えたから。
「おまえはどう思う?」
 不安の色を灯すアイスブルーの瞳を見て、エクレールは気が付いた。
 ……ああ、そうか。この人は。
「ライトニングさんのご友人のお話なのですよね」
「ああ、率直な言葉で頼む」
 ホープの面影を感じるこの青年だったからこそ、知りたくなってしまったのだ。
「そうですね……。失礼だと思いますが」
 それから先の言葉を、エクレールはすでに知っている。
 なんて悲しくて、虚しいすれ違い。すべての真相は、多くのかけ間違えで起こりえたものだったのだ。

「正直、気持ち悪いと思います」

 無機質な青年の言葉が、三人の間に落ちていく。
 正確には、この話をしていたのは当時二人だけの話だ。エクレールはあくまで追体験をしているに過ぎない。繰り返しエクレールを苦しめた悪夢の正体は、在りし日のライトニングから発生したものだったのだ。
 ライトニングは呆然として青年の言葉を耳にしていた。青年はそんなライトニングの様子に気づく素振りも見せず、言葉を続けていく。
「それって犯罪じゃないですか。結婚まで視野に入れてるって……つまり、どんな綺麗事を言ったって、そういうことなんですよね? 年の離れた『子供』相手にそういうことを考えるって、ちょっと異常ですよ」
 普通の大人のやることじゃないです。異常な性癖を持っているとしか思えない。年の近い人はいくらでもいるはずなのに、子供に走るだなんて、正直考えられませんよ。
「何より、そんな大人に騙されてしまう子供が気の毒です」
 そこまで口にして、青年ははっきりと嫌悪感を浮かべてみせた。
「ライトニングさんのご友人には悪いですが、僕にはまったく賛同できません」
 むしろ、汚らわしいと思います。ご友人は選ばれた方が良いのではないでしょうか。
「……そうか」
 青年の言葉に、答えを求めたライトニングは短く言葉を区切る。
「参考になった」
「いえ。あくまで一般的な意見を述べたにすぎません」
「……一般的、か」
 ライトニングを知ってか知らずか、青年は灰色の瞳を細めて笑ってみせる。
「ええ。僕らは軍人で、弱い者を守る立場の人間です! この仕事に就けたことを誇らしく思います」
 遥か遠方に望むコクーンを見上げながら口にする青年の横顔は輝いていた。その純粋さが眩しくて、エクレールは静かに目を伏せる。
 ライトニングとホープはつがいだった。だけどホープは彼女よりも年下で、当時はまだ雛と呼ばれるような存在だったのだ。すでに親鳥になれるライトニングは雛鳥と将来を約束した。それは巣の外側にいる別の鳥からすれば、異質にも捉えられる行為だったのだ。
 誰が悪いわけでもない。
 過ちを犯したというわけでもない。
 それぞれの価値観がぶつかりあって、そうして傷を作っただけ。
 ライトニングがもっと感情の機微に聡ければ、回避できたやりとりだ。その点においては彼女の落ち度と言ってもいいだろう。
 だけど、エクレールにはライトニングの気持ちが分かってしまった。大好きだから、大切にしたい。大切だからこそ、認められたい。
 それは人として生きていく上で、ごくごく当たり前の感情だったのではないだろうか?
 それ以上青年と交わせる言葉はなく、ライトニングは高台から踵を返した。
 気持ち悪い。
 そう発せられるのが、ライトニングだけならばどれほど良かったことだろう。これはライトニングが自分自身で決めたことだ。他の誰に文句を言われたとしても、ホープのことを好きだと思う気持ちはライトニングだけのもので、他人にとやかく言われる筋合いはない。
 だけど、関係を築いてしまった時点で、ホープもまた無関係ではいられなくなってしまうことをライトニングは知ってしまった。
 大人の分別を失くした大人と、それに絡めとられた可哀想な子供。ライトニングたちの関係が知れた途端、そういう憐憫に満ちた眼差しを向けられるという事実は、ホープの未来に暗い影を落とすだろう。周囲があまりにも温かく接してくれるから許された気がしていた。だけど、結局のところコクーンの現法が定める基準では、二人の交際はモラルから外れたものなのだ。
 そうだというのにホープの言葉に突き動かされて、舞い上がって。……冷静に判断しなければならない立場だったはずなのに、青年に軽蔑の眼差しを見せつけられるまで気が付きもしなかったライトニングはなんと愚かだったのだろう。
 ホープのことだ。そんなことは気にしないと口にするだろう。だからこそ、ライトニングが気にしなければならなかった。そうであるべきだったのだ。
 ホープの父であるバルトロメイは今、身を粉にしてアカデミーの運営に注力している。叩けども埃一つ出ない経歴を持つ彼が、今やコクーンを動かす重要人物になっているのは周知の事実だ。そして、そんな父を応援しているホープの姿を知っているからこそ……苦しいのだ。苦しいのに、愛おしい。今更のように彼のことを恋しく思っている自分を思い知らされて、ライトニングは強く唇を噛みしめた。
 左手の薬指にはシルバーのリング。
 待っている、そう口にした。追いかける、そう答えてくれた。……それでは、駄目だったのだろうか? 所詮は他人の言葉で、こういうものは当人同士が決めるものだ。そうやって斬って捨ててしまうことが出来れば、どれほど楽だったろう。
「……会いたい」
 無意識に零してしまったライトニングの言葉を、エクレールは痛いほど理解できた。項垂れる彼女に寄り添うように、エクレールは手を伸ばす。
 ライトニングはエクレールで、エクレールはライトニングだった。
 私は、ライトニングの懺悔が生んだもう一人の自分だったのだ。
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