2019.04.23 公開

#3

 『本命 ホワイトデー お返し』
 窓に入力して、検索ボタンを押すだけ。そうして出てくる結果と言えば、ものの見事に多様化していた。
 やれ高級チョコレートがいいだとか、時計で決まりだとか、アクセサリーが定番だとか。バレンタインの時はチョコレートほぼ一択だと言うのに、ホワイトデーの自由ぶりは一体どういうことなのだろうか。価格の相場も当てにならない。そもそも自分が貰ったのは小粒なチョコレート一つで、当然上記のお返しはオーバーキル状態であることは言うまでもない。
 ここ半月ほど思考のタスクを奪っている悩みの種に、ホープはもう何度目か分からないため息を零してみせた。
 もちろんこれが贅沢な悩みだというのは承知している。少し前まではバレンタインという言葉すら憂鬱だったくらいなのだ。その当日、大本命であるあの人がやってきて、ホープの家に泊っていくという事件がなければ、今頃お付き合いすらできていなかったはずだ。ライトニングの顔を思い出して、ホープはへにゃりと相好を崩した。
 本名はエクレール・ファロン。二十三歳。ホープの七つ年上の彼女だ。
 ピンクブロンドの髪を持ったものすごい美人な彼女は、ただ綺麗なだけじゃない。かつてルシであったという経緯を持つライトニングの武術の腕はすでに達人級で、所属している騎兵隊の中でもめきめきと頭角をあらわしているそうだ。出会った時には軍曹という地位にいた彼女の現在の階級は大尉なのだから、実際大したものだった。これは、ルシ時代に出会ったリグディと同等の階級でもある。
 ライトニングはたたき上げの軍人だ。士官候補生というエリートコースとは縁のなかったはずの彼女が、警備軍時代に世話になったというアモダ曹長の推薦によって騎兵隊に編入してからというもの、とんとん拍子で階級を上げている。
 しかも驚くべきことに、コクーンを救った英雄としての功績は加味されていないというのだから、彼女の腕前がいかに頭一つ分飛びぬけているということが分かるだろう。
 ファルシの支配からコクーンを解き放ったというパルスのルシは、エデンが崩落した大混乱の直後、まるで希望の光でもあるかのように英雄として大々的に扱われた。とは言え、実際に公表されたのはクリスタルとなったヴァニラとファングの二名のみだ。これからを普通の人間として、ごく当たり前に生活していきたい。ライトニングもセラも、スノウもサッズも、そしてもちろんホープもそれを望んだ。そういった訳で、ルシとして駆け回り、ファルシによる支配からコクーンを解放したという経歴は基本的には加味されていないはずだ。もちろん騎兵隊の事実上現トップであるリグディがそれらを知らないことはないのだが、ライトニングが望んでいる以上、野暮なことはしたりしない。ライトニングは純粋に、自分の実力だけで出世していると言っても過言ではないはずだ。
 騎兵隊内部でも、すでに『麗しき軍神』という通り名があるほどに存在感のあるライトニングである。そんな人がホープの彼女になったというのだから、浮かれ上がるのは道理というもので――同時に、彼女が去ったバレンタイン翌日、唐突に不安になってしまったのだ。
 ライトさんは絶対もてる。ていうか、もてている。
 あの容姿なのだから、それこそ引く手数多だろう。これまで特定の相手がいなかったのは、ひとえに彼女に興味がなかったから、としか言いようがない。元々妹であるセラ・ファロンの両親代わりとなって働いていたというのだから、色恋沙汰に関心を向けるような余裕などなかった、というのが本音のところだろう。
 しかしそれも少し前までの話だ。ライトニングの妹であるセラは、クリスタルの眠りから目覚めたその後、恋人であるスノウと籍を入れた。ルシの旅路の果てに結婚の許しを得た二人は、ほどなくしてコクーンを降り、新天地に『ネオ・コクーン』という名を付けて、逞しくも仲睦まじい新婚生活を営んでいるのだ。あと数か月もすれば、セラは第一子を出産するとも聞いている。
 つまるところ、両親代わりになって必死で養っていた妹が巣立って行って、ライトニングはぽっかりと穴が開いたような状態だったのだ。半年も連絡が取れなくなっていたのも、ひとえに彼女が仕事に打ち込んでいたからだ。最愛の妹が巣立っていった穴が、それだけ彼女にとって大きなものだったのだろう。
 ようやく。ようやく、憧れていたあのライトニングに手が届いた。手が届いてしまったからこそ、絶対に手放したくないのだ。自分よりも年上の、それこそ金銭的にも社会的にも地位のある大人の男なんかに横から掻っ攫われたくない。
 クールそうに見えて、その実照れ屋な彼女のギャップを知っているのは、自分だけでいいと心底思う。あの人の良さをホープは二年も前から気が付いていて、ずっと恋焦がれてきたのだ。手に入れた以上は、なんとしてでも繋ぎ止めていたい。そのためならどんなことだってする。例え滑稽だと笑われようが、必死でしょうがないのだ。ライトニング以上の女性なんてホープにとってはあり得ない。彼女でなければ絶対に駄目だ。
 だからこそ、ホワイトデーにはライトニングに喜んでもらえる贈り物をしたい。意気込みが大きくなればなるほど、ハードルは高くなるというもので、ホワイトデーまでいよいよ残り一週間となった今まで決め手に欠けるという状況だった。
 とは言え、全くのノープランでもない。下調べに下調べを重ねて、シンプルだが質の良いアクセサリーを扱っているという店に辿り着いた。
 なんでもスノウの先輩が切り盛りしているらしく、セラへのプレゼントのネックレスを買ったのもその系列店らしい。パルムポルムの本店でなら何か良い贈り物が見つかるかもしれないという望みを持ってやって来たものの、なかなかこれというものが見つからずため息を吐いているという訳だった。
(そもそも、貰ったチョコを考えるとなあ)
 ワンコインで買える、安価なチョコレート一粒に対してアクセサリーを返そうとしているのである。多分ライトニングは気にするだろう。というか、ホープの知っている彼女なら気にする。お返しを楽しみにしているとは確かに言っていたものの、恐らく彼女の想定している外にあるものを選んでいるだろうという自覚はある。
 それでも、やっぱりライトニングに喜んでほしいと思うのだ。値段の釣り合いの問題じゃなくて、少しでいいから照れくさそうにして笑ってほしい。ただ、それだけなのだ。
(あまりゴテゴテしたものは、普段の訓練には邪魔になると思うから……)
 さっと身につけられて、邪魔にならないものがいい。そうなってくると、やはりネックレス、ピアスやチョーカー……。程よく客が歩いている店内のショーウィンドウをホープは覗き込んでいく。
 ネックレスはすでに彼女にはお気に入りのものがあるのを知っている。ピアスも然り。おへそに光っている小ぶりなピアスは、ルシ時代、ついつい目で追ってしまった記憶がある。
「もしかして贈り物ですか?」
 不意に声を掛けられて、ホープは見下ろしていたショーウィンドウから顔を上げた。カジュアルな店内の雰囲気に相応しく、店のロゴがプリントされたエプロン姿の店員がホープに微笑んでいる。
「ええ。何か良いものがないかと思って」
「彼女さんです?」
「……分かりますか?」
 自分でも眉尻が下がってしまう自覚があった。そんなホープを前に、店員は朗らかに笑う。
「ええ。随分と熱心に見ているようでしたから」
 はっきりした言い方といい、どことなくスノウの雰囲気に通じるところのある女性だった。
 見透かされて気恥ずかしいと思う反面、この人なら何かいいアドバイスをくれるかもしれないという気持ちが持ち上がった。こういったものはどうしても想像力で補わなければならない分、同性の意見は積極的に取り入れていきたい。
「ホワイトデーの贈り物を考えているんです。年上の女性なのですが、すでにネックレスやピアスは持っていて……。何かおすすめがあれば教えてもらえないでしょうか?」
 ホープの言葉に店員がふうむと唇に手を当てる。少しばかり考え込んでから、彼女は顔を上げた。
「そうですね……。なら、ペアものなんていかがですか?」
 すでにいくつか持っているとのことでしたら、おそろいで普段使いできるものなんてどうでしょう? 二人にとって特別なものになりますし、うちでは種類もいくつか取り揃えています。イメージに合わせてお求めになるお客さん、結構多いんですよ。
 淀みなく口にする店員につられるように店内を見渡せば、確かに店内のカップルおぼしき二人組は同じモチーフのアクセサリーを身に着けているような気がする。よく考えればスノウとセラのネックレスだってペアものだ。お揃い、に特別な意味を見出すのも頷ける。
「ペアものかあ……」
 ほとんど反射的にガラスのショーケースの中にあるリングに視線がいった。小粒ながらもきらりと光るそれらの隣には、こちらも小ぶりながらも可愛らしくない値札が添えられている。プレゼントのために多少のギルは用意しているものの、明らかに予算オーバーだ。
「流石に……まだ早すぎますね」
 そもそもペアリングなんてものは、特別な場面で渡すものだろう。付き合ってまだひと月もたたない内に、それもホワイトデーのお返しに渡すには少々荷が重すぎる。
 苦笑を零すホープとは対照的に、店員の女性は勝気な表情でにっこりと微笑んでみせた。
「最近はカジュアルなペアリングも出ていますし、早すぎるなんてことはないですよ。付き合い立てなら、なおさらピッタリの贈り物です! 年上の彼女さんってことは、普段離れていることも多いんじゃないですか?」
 そこまで一息で口にして、彼女はずいと身を乗り出してみせた。
「いい虫よけになりますよ。この人には先約がいるんだって」
 そういう意味でもお求めになる方は多いんです。ペアものなら、離れていてもお互いのことを思い出せますしね。左手の薬指はとっておいて、右手の薬指にはめるって選択ももちろんありです。
 とどめの一押しだ。思わず口の中でぐうっと唸って、ホープはペアリングを見た。
 確かにライトニングは指輪の類を付けていない。他の小物は身に着けているのだから、まったく興味がないというわけではないだろう。そういう意味で、ペアリングという視点はあながち悪くない選択のはずだ。
 何よりリングを身に着けていれば、この人はすでに先約があるという周囲への牽制になる。普通の感性を持った相手ならば、リングに気が付いた時点で身を引くはずだ。お守りという観点で考えると、これ以上ない効果を発揮するに違いない。
「カジュアルなペアリング、見せてもらえますか……?」
 葛藤の末に絞り出すように声を出したホープを前に、店員はにっこりと破顔する。――かくして、ホープのホワイトデーのお返しは、シンプルながらも品の良い小ぶりなペアリングとなった訳だった。

   * * *

「『麗しの軍神』がでかい土産を持って帰還したらしい」
「へーっ、帰ってきたのか。毎度毎度、あの人の戦果はすげえな」
「編成後にパルスにとんぼ返りらしいけどな。それにしてもファロン大尉って、ほっんと軍人にしとくのが勿体ないくらい、いい女だよなあ……」
「分かる。しかも、最近とみに女っぷりが上がってねえか? うちの軍内でもあの顔面偏差値はぜってートップレベル」
「俺さ俺さ! この間、大尉とすれ違ったんだけどさ。すげーいい匂いがした!」
「でも、かなり厳しいって聞いたぜ。部下には容赦ねえの」
「はあぁ~っ、分かってねえな。それがいいんじゃん! あ~っ、あの人の部隊に配属される奴が羨ましい!」
 腕っぷしの強さを誇る騎兵隊の食堂はいつも騒がしい。日中の厳しい訓練の後のささやかな休息なのだ。体格のいい男たちが盆を突き合わせて、やれ今日の訓練がどうだったか、上官の小言がうるさいのだとか、そう言えば配属された同期が異動になっただとか、そういう話題で溢れ返っている。そんな賑やかな一角では、一度出撃すると、輝かしい戦果を持ち帰るという『麗しの軍神』の話題で盛り上がっていた。
「ほんといいよなぁ。おまえ、ファロン隊に編入だろ? お近づきのチャンスじゃねえか」
「う、うん……。僕なんかが編入なんて、未だに信じられないけど……」
「おいおい、過ぎた謙遜は嫌味になるぜ? おまえが優秀なのはみんな分かってるんだ。それに、大尉に熱視線を送ってんのもな」
「えっ」
「まー、相手にされねえと思うけどな!」
「違いねえ! つーか、あんないい女と付き合ってみろ、隊の連中が黙っちゃいねえぜ!」
「そ、そんなぁ……」
 まさかばれているとは思っていなかったのだろう。同期に冷やかされた隊員の一人は赤くなったり青くなったりしている。
「っと、噂をすればご本人がお出ましだ。相変わらずいい女だなあ、おい」
 肩を組まれた隊員は目を白黒させた。つられるように視線を向けたその先にはピンクブロンドの麗人が盆を抱えて並んでいる。立ち姿すら姿勢がいいその人の姿は、否が応でも目立つ。
「ファロン大尉……」
 熱に浮かされたようにぽうっとなる隊員の熱い視線を他所に、当のライトニングはというと、注文したカルボナーラに意識を持っていかれていた。
(腹がすいた)
 もはや胃は「はやく食べさせてくれ」と言わんばかりに悲鳴を上げている。腹の音を鳴らさないよう力を込めるのも限界だ。食堂のおばちゃんがトングでくるくると器用に皿の上に盛り付けているのを見つめながら、ふとライトニングは先日食べたあんかけそばの味を思い出した。
(うまかったな……)
 パルスではサッズやヴァニラたちの手伝いをすることが多かったためか、ホープは料理に対して関心を持ったのだろう。手伝いをしていた頃からすれば考えられないほど手際が上達し、料理できるようになっていた。
 ほこほこと湯気を立てていた色とりどりの具材のバランスもさることながら、焼き加減も絶妙でうまかった。とにかくうまかったのだ。いつまでたっても料理が中の下から上達しないライトニングからすれば、ホープの上達は目を見張るばかりだ。
(そのうちまた作ってもらおう)
 変わったといえば料理の腕前だけではない。ライトニングとホープの関係もまた、以前とは明らかに変化していた。
 さる二月十四日のバレンタインデーに告白されて、ライトニングはホープとお付き合いすることになったのだ。
 お付き合い。生まれて二十三年間、ライトニングにとっては縁のなかった言葉である。言い換えれば、ホープに告白されるまでは、『年齢イコール彼氏いない歴』だった。これは、ライトニングの年齢から考えれば、一般的に出遅れていると言っても過言ではない。
 とはいえ、ライトニングはスクールの同級生がかっこいい男子で色めき立っている頃、一緒になって騒ぎ立てることのなかった理由が相応にある。丁度その頃、母の具合が悪くなり、ライトニングがファロン家を切り盛りするようになったからだ。
 当時のセラはまだミドルスクールに通っていて、独り立ちできているとは到底言い難かった。料理だって、美味しいものを見つけることは得意であれども、自分で台所に立つことはほとんどなかったと言ってもいい。ハイスクールが終わると、ライトニングはまずスーパーに買い物に行って、その日の夕飯の材料を買いに行ったものだった。料理だけじゃない。掃除、洗濯、母の介助に、やることだけはとにかくたくさんあった。
 母が亡くなってからは、収入を得るために仕事に就く必要があった。国から多少の補助が出るとは言え、今後のことを考えると十分とは言い難い。一介の軍人となった自分はともかく、スクールで優秀な成績を収めていたセラにはいい大学に行って欲しかったからだ。いい就職にはいい大学というのは、コクーンにおける常識というのは言うまでもない。
 とにかくセラと二人で生きていくために必死だったのだ。だから、色恋を楽しむような余裕なんて、当時のライトニングには考えらなかったと言っていい。
 がむしゃらになって走り続けた十代後半だった。ふと振り返ってみれば、ライトニングの後ろをちょこちょこと付いていたちっちゃなセラは、姉の手を離れ、スノウという良き伴侶と共に新たな道を歩み出している。
 赤ちゃんができたの。コミュニケーター越しに聞いた妹の声は弾んでいて、ライトニングはなんだか信じられなかった。愛娘の妊娠を知った父親の気持ち、という表現はあながち間違いでもないと思う。嬉しそうな妹の声に祝福を述べる反面、手がかかったあの子が母親になるのだという事実に愕然とした。
 私は今、誇れる自分であるのだろうか。これからどうしていくべきなのか。
 今更のように拓けてきた自分の新たな可能性。剣を持つことにこだわる必要もない。新たな可能性に挑戦することだって可能だ。いっそ恋をしてみてもいい。クリスタルに支えられたコクーンの夜明けと同じように、まっさらな道の中を進んでいるのだと気が付いた時、ライトニングは酷く自分が頼りない存在になったように思えた。頼りないものを確かにしたくて、それまで以上に仕事にのめり込むようになったのは否定できない。
 リグディの勧誘を受けて騎兵隊に入ってからというもの、僅か二年という月日で軍曹から大尉にまで階級を上げていったのも、ライトニングがどれだけ活躍したかということをあらわしているだろう。いつしか『軍神』などという大それた通り名が付いていると知った時は、我ながら呆れたものだった。
 『閃光』に『軍神』とくれば、まさに怖いもの知らず。ますます嫁の貰い手なんてなくなるな。柄にもなくそんなことを思ったのは、パルスから帰還した多くの隊員たちが、家族に温かく迎えられているのを見届けた時のことだ。
 いつもなら帰ってきたライトニングをセラが迎えてくれるところだったが、いよいよ腹の大きくなってきた妊婦に無理をさせるわけにはいかない。たった一人で飛空艇から降り立ったライトニングの脳裏に、プラチナブロンドの髪を持ったエメラルドグリーンの瞳の少年の姿が思い浮かんだのはそんな折だった。
 ライトさん。そう親しみと敬愛を込めて呼んでくれた少年――ホープとは、もうかれこれ半年も連絡を取っていない。ルシの旅路を終えてからはそれぞれの生活に戻ったのだから当然と言えば当然のことなのだが、そう言えば彼は元気だろうか。
 一度そうだと決めると、即座に行動に移すのはライトニングの美点である。行って、顔を見れればそれでいい。ホープの都合が合うのなら、夕食でも一緒にしてもいいかもしれない。そんな気持ちで電話をしたものだから、電話越しのホープが「すぐ行きます。だから、絶対にそこから動かないでください!」と語気を荒くして切ったのがなんだか意外だった。
 年を重ねるごとに時間の流れが速く感じるようになる、という言葉はもっともで、ライトニングにとって半年前とはほんの少し前の感覚だった。早いものだ、と校門前の偉人だか何だかよく分からない銅像を見つめながら感傷に浸っていると、ふと聞き慣れた名前が聞こえてきた。
「エストハイム先輩にチョコレート、受け取って貰えなかった……」
「あ~、先輩、本命からしか受け取らないって有名だからねぇ」
「でもでも~っ! あーん、先輩の本命って一体誰なんだろ。私らじゃチャンスなしってこと~?」
「荒れるな荒れるな。エストハイム先輩もいい男だけど、他にもいい男はごまんといる」
 エストハイムという姓をもったこの学校の生徒とくれば、ライトニングの脳裏に浮かぶ名前は『ホープ・エストハイム』だ。それにしても、この女学生の言葉ぶりからすれば、随分と罪な男ではないか。半べそをかきながらライトニングの後をとぼとぼと付いてきていたホープの少年時代を知っているだけに、ライトニングとしてはむず痒いような落ち着かないような、そんな奇妙な感覚だった。
(それにしてもチョコレート……今日はバレンタインだったか)
 二月十四日は愛の誓いの日というなんともロマンティックな習わしが、いつしか菓子メーカーの戦略により女性から男性へチョコレートを贈る日に様変わりしてしまった、とどこかで聞いたことがある。
 スクールに通う学生は男女交際に色めき立つ年頃でもある。女性から男性にチョコレートを送るという行為がパンデミックを起こしていると考えても何ら不思議ではない。
(それにしてもあのホープにチョコレートが殺到しているとは)
 にわかには信じがたい話である。ライトニングの知るホープは、やはり十四歳の頃のイメージが強い。確かに可愛らしい顔つきをしているとは思うものの、かっこいいというよりは子犬のような印象が抜けきらないのだ。ライトさん、わんわん。口にこそしていないが、ライトニングを慕って付いてくる様は、まさしくその通りだったと言っていい。
 やはり、学内に同じようにエストハイムの姓を持つ生徒がいるに違いない。そう結論付けたところで、聞き覚えのある声がライトニングの名前を呼んだのが分かった。噂をすればなんとやらだ。思わず表情を緩めて返事をしたところで、ライトニングは目を瞬かせることになった。
 「ライトさん」と嬉しそうに慕ってくる様は何ら変わっていないはずなのに……ホープが大きくなっている気がするのだ。
 ぱちぱちともう一度瞬きをする。やはり、気のせいなんかじゃなく大きい。明らかに身長が伸びている。
 呆気にとられるライトニングを他所に「場所を移しましょう」と口にしたホープは、ごく自然な仕草でライトニングの手を握ってみせる。
 ルシの旅の中で誰よりも目覚ましい成長を見せていたホープは、非力で頼りない子供の殻を脱ぎ捨てて、一人の人間として大きく成長していった。まさしく第二次成長期の真っただ中。ホープがその過程にあるとは知っていたが、たった半年でいくら何でも成長しすぎだろう!
 そうして、あれよあれよという間にライトニングはホープの家に行くことになった。ご飯をご馳走になったり、ノラの話にしんみりとしてしまって、一緒に寝ようとなどと口走った末に、熱心に――とても熱心にホープに想い人であることを告げられて、お付き合いするようになったのが二月十四日の出来事だ。可愛い子犬だと思っていた相手がとんだ狼だった気分である。
 今にして考えてみれば、自ら袋小路の中に入りに行った感は否めないが、おかげでホープのことを好ましく思う自分に気が付けたのだから、結果的にはこれで良かったのだと思う。
 それにしても、まさか自分に年下の彼氏ができるとは。人生、どう転ぶか分からないものである。もしできるとするならば、知的で判断力があって、背中を預けられるような頼りがいのある奴だと思っていた。そこまで考えて墓穴を掘っていることに気が付く。わりとそのまま、ホープが当てはまっている。
 彼氏彼女の関係になったとは言え、甘っちょろいちゃらちゃらしたのは言語道断だ。特にホープはまだ十六歳で、体は大人に近づきつつあったとしても未成年である。ライトニングは大人として、ホープを清く正しい交際に導く義務がある。あるはずなのだが……ホープの勢いに流され気味なのはどうしても否めない。
(あの子はまだ若い。私がしっかりしなければ)
 要は気持ちの持ちようである。ライトイングがしっかりとした節度を守ってさえいれば、ホープも無茶なことはできないだろう。駄目なものは駄目ときちんと言い聞かせてやるのだ。
 ライトニングは顔を上げた。思考しながらも、体はしっかりと働いていたらしい。カルボナーラのソースを僅かに残して、皿の中は綺麗になくなっていた。舌の上にはしっかりカルボナーラの味が残っている。
 お返しの準備ができたので、十四日空けてもらえませんか。そんなメールがホープから飛んできたのは一週間前だっただろうか。その頃はまだパルスで任務中で、ホワイトデーにはぎりぎり間に合うものの、コクーンに帰れば山のような書類が溜まっているはずだ。都合を付けるから就業後に落ち合おう。そう返事をしてから飛ぶように日々は過ぎ、あっという間に当日になったという訳だった。
 トレイを返却窓口に返しながら、自然と口元が持ち上がるのが分かる。なんだかんだ言いながらも、結局ライトニング自身もまた、ホープと会う事を楽しみにしているのだ。
 お返し、なんてその場の勢いで口にしたものの、その実会う口実ができればそれで十分だった。我ながら面倒くさい手順を追っている自覚はある。とは言え、お付き合い自体が初めてのことなのだ。大人としての節度を守った、清く正しい、それでいてきちんと気持ちの伝わるお付き合い。ライトニングの描くふんわりとした理想の形は、まだ具体的な手順を帯びていない。そのためか、どうにも遠回りになりがちだった。
 歓迎したくない山のような書類を処理している内に、ライトニングの午後はあっという間に過ぎていった。元々体を動かすことの方が性に合っている。狭いデスクの前で黙々と作業をこなしていたためか、体はすっかり固くなっていた。
 カチコチになった体をほぐすようにうんと伸びをする。骨が軋む音は、それだけじっとしていた証拠だろう。首を回して一息つくと、ライトニングは荷物を鞄にまとめて、ロッカーから薄手のコートを取り出した。
 冬はまもなく終わりを告げようとしていた。ほんの一月前までは厚手のコートを必要としていたというのに、今ではすっかり日差しが暖かくなった。とは言え、まだ油断はできない。この季節は暖かくなったと思えば、ぶり返したように寒くなったりするからだ。
 ブーツを鳴らしながら、ライトニングはゲートを潜り抜けた。待ち合わせ時間まで、あまり余裕はなさそうだ。
 ファルシ=フェニックスは稼働を停止してしまったため、今のコクーンは自然光を取り入れている。必然的に昼夜の管理は自然に任せられることになり、以前のように百パーセント予定調和な環境は保たれなくなった。要するに天気予報は当てにならなくなったのだ。
 しかしそれでライトニングはいいと思う。ファルシに飼われた人生なんてごめんだ。それに、あの雷雨のおかげでホープと付き合うようになったなったことを考えれば、不測の事態というのも案外悪くない。そう言えば、ああいうのを春雷と言うのだったかな。そんなことを考えながら、ライトニングは足早に進んでいく。
 街のあちこちが茜色に染まる夕暮れ時。慌ただしく帰路に付く人たちを目で追っていたのだろうか。十三時計塔の前に、待ち合わせのその人はコーヒー缶を片手に立っているのが見てとれた。
「ライトさん!」
 ホープの顔がライトニングを見つけてぱあっと明るくなる。同時に、彼の動向を見守っていただろう周辺の女性が、明らかに落胆の表情を浮かべるのが分かった。
 こんなところでも無自覚に女性をたらし込んでいたらしい。まったくもって油断がならない。可愛い少年が罪作りな青年に進化するその様をまざまざと見せつけられたような気がしてならない。
「待たせたか」
「いいえ。僕も少し前に来たところですよ」
 ふうんと息を吐いて、ライトニングはコーヒー缶を握りしめているホープの手に自身の手を重ねてみせた。
「やっぱり冷たい。結構待っていたんじゃないか?」
 気遣わせないための方便があっさりとライトニングに見破られて、ホープは困ったように肩を竦めた。
「ライトさんにはお見通しですね。……なんだか、待ちきれなくて」
 油断していたところを熱の篭ったエメラルドグリーンの瞳が向けられて、思わずライトニングは息を呑んだ。昔は可愛いものだと思った台詞も、少し高い位置から発せられるようになると、どうにも捉え方が変わってしまう。じわじわと頬に熱が伝わってくることを自覚して、ライトニングは反撃に出ることにした。ホープが無自覚に発した言葉に被弾するなんて、あまりにも癪すぎる。
「そんなに私が待ちきれなかったか?」
「もちろん。それに、ライトさんの家に行くってなると、なんだか落ち着かなくて」
 にっこりと笑みを零して、ホープはごく自然な仕草でコーヒー缶に添えていたライトニングの手を握りしめた。
「……別に。引っ越したばかりだから、大したものは置いていないぞ」
 まさかそうくるとは思っていなかったから、ライトニングは目を見開いてホープを見上げる。そんなライトニングの反応に、照れくさそうにホープもまた相好を崩した。
「人の部屋を見る機会なんて、なかなかないですから。何よりライトさんの家ですよ? 気になるに決まってるじゃないですか」
 一ヵ月前ライトニングが発した言葉をそっくりそのまま返されて、ぐうの根も出ない。先ほどからずっとホープのペースに乗せられっぱなしじゃないか。熱を持つ頬を隠すこともできず、せめてもの抵抗と言わんばかりにホープを睨み上げれば、彼の耳も薄らと赤いことにライトニングは気が付いた。
「……もしかして、照れているのか?」
「ライトさんがそれを言います? でも、まあ……その。なんか、こういうの嬉しいなって、今更みたいに思えてきて」
 ライトニングの指摘にホープがぺろっと舌を出す。そういう仕草をすると、少年の頃の面影が色濃くなる。そうしてようやくライトニングは気が付いた。ドキドキと振り回されているのは何も自分ばかりではなくて、ホープもまたライトニングと同じであるということを。
 そんなホープに対抗意識を持っていたことが何だか急に馬鹿らしくなってきて、ライトニングもまたふっと表情を緩めてみせた。
「慣れないことなんだ。純粋に楽しんでいこう」
「……はい」
 握りしめた手はそのままに、二人、夕暮れ時のパルムポルムを歩いていく。
 二人が同じ歩幅で歩くにつれて、長い影がゆらゆらと揺らめいているのが印象的だ。ホープと手を繋いで歩いていると、知っている街並みさえも新しい景色のように見えるのが不思議だった。
 夕暮れ時の街も案外悪くないな。素直にそう思って、ライトニングは目を閉じたのだった。
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