2018.04.22 公開

恋人関係なのに、一向に手を出してこないホープさんに業を煮やしたライトさんが誘惑する話

 ライトニングは忌々しげにフォークを突き刺した。
 ぷつり、と鉄板の上で仰け反っていたソーセージに穴が開く。途端、じゅわっと肉汁が溢れて肉とハーブの良い香りが広がった。突き刺したフォークを口の中へと運ぶと――美味い。
 舌の上に広がる肉の芳醇な旨味と爽やかなハーブに、少しだけ気持ちが持ち上がる。しかし、腹ただしいものは腹ただしいのだ。苛立ちを再び思い出し、ライトニングは無言でソーセージを咀嚼する。ごくんと嚥下をして、次は付け合わせのポテトにフォークを伸ばす。舌の上に広がる程よい柔らかさと芋本来の旨み。これもまた美味い。
「……お姉ちゃん。そろそろちゃんと言ってくれなきゃ分かんないよ」
 そんな姉の様子に呆れたように溜息を吐いたのは、ライトニングの妹であるセラだった。
 通信機器を介しての通話は頻繁に行っているものの、こうやって面と向かって会うのは一か月ぶりだろうか。スノウと籍を入れたセラは、今やグラン=パルスに新居を構えている。ライトニングがブーニベルゼ内に配属された今や、もはやかつてのように頻繁に会うことは叶わなくなったものの、時折こうして都合を合わせては会うようにしている。特に今回は「会って話がしたい」というライトニングたっての希望もあってわざわざブーニベルゼに訪ねてきたというのに、肝心の姉はむっつりとした顔のまま一向に用件を話そうとしない。それどころか黙々と食事を進めるものだから、セラとしてはいい加減口を割ってほしいところだった。
 とは言え、姉の性分は分かっている。妹であるセラに関わることならば何においても最優先、まどろっこしい手順を省いて訊ねてくるはずだ(そういうところは気持ちと言動が最短距離で繋がっているスノウと姉はよく似ている)。そんなライトニングがこうも口を割らないとすれば、答えはおのずと絞られてくる。
「お姉ちゃんとホープ君って付き合ってそろそろ二か月目だっけ」
 ぴたりとライトニングのフォークの手が止まる。やっぱりね、とセラは直感めいた己の推測に内心頷いてみせた。ライトニングがこうも口を割らない理由――それは、きっと自分の悩みに関することだからだ。この頑固で不器用な姉は、いつも妹のことばかりで、自分のことは後回しにしてきた。だから、打ち明けたいと思いながらも、それをどう口にしていいのか思いあぐねているといったところなのだろう。
「喧嘩でもしたの?」
 付き合って二か月ともなれば、お互いの価値観もよく見えてくるようになるはずだ。いくらホープとライトニングがかつて同じ旅をした仲間であるとは言え、あの旅からずいぶんと時間が経過している。考え方や生活習慣の違いに対するトラブルはあって然るべきだろう。
 長い離別の末にようやく再会できた(しかもお互い好意を持っていることは明らかなのに、見ているこっちがじれったくなるような関係だった)二人だ。付き合うことになったと照れくさそうに報告してきたライトニングを前に、ようやくかとセラとしては安堵に胸を撫で下ろしたものの、いい加減二か月も経てば、お互い些細なことをきっかけに喧嘩したりすることだってあるだろう。実際、セラだってスノウとの喧嘩はしょっちゅうだ。
「……喧嘩じゃない」
 聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声。しかし、セラの耳にははっきりと届いた。鉄板の上に目線を落としたライトニングが、ぽつんと零すように告げた言葉に、セラは思わず首を傾げる。
「喧嘩じゃないならどうしたの?」
 てっきりその類の相談かと思いきや、どうやらそうではないらしい。それどころか、ライトニングは眉根を寄せたまま難しい顔をして押し黙っている。姉がこういう顔をしている時は、大体、ひどく思い詰めている時なのだ。経験則でそれを知っているセラは、急に不安になって矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「喧嘩じゃないなら、何かあったの? ホープくんの具合が悪いとか……。それとも全然会えないとか?」
 やはり最高顧問ともなると多忙を極めているだろう。せっかく恋人関係になったというのに、それでは姉が不安に思うのも仕方がないかもしれない。何せ相手はあのルックスと頭脳、そして最高顧問という地位もある。かつては女神の騎士だったとは言え、今現在はアカデミーの調査団長を務める姉の立場から見れば不安に思うこともあるだろう。
「まさか誰かに嫌がらせなんて受けてないよね?」
 苦労に苦労をかけた上に、ようやく帰ってきたたった一人の姉なのだ。複雑な略歴故に、まさかこのまま独り身でいる気じゃないかとやきもきしたものの、やっと姉を幸せにしてくれる人が現れたと思った矢先のことだった。もし姉の身に何か起こっているのならば、いくらホープ君とは言えタダじゃおかない。そう口にして立ち上がるセラを前に、慌てたように「そういうことじゃない」とライトニングが首を振った。
「だったらどうして」
 お姉ちゃんがそんな顔をするの。弱々しい口調になって、セラは首から下げていたペンダントを握りしめた。スノウとお揃いの――今はもう失われたコクーンをモチーフにしたペンダントだ。
 もしかして姉は口にできないような酷いことをされているのだろうか。ブーニベルゼを起動した今となっては、アカデミーも一枚岩ではないだろう。もし内部抗争に姉が巻き込まれていたとしたならば……。そこまで考えを飛躍させたセラを前に、呆れたようにライトニングが額を小突く。
「だからそう深刻になるな。……そういう話じゃないんだ」
「でも、お姉ちゃんがこんなに悩んでるのに……」
「あー……、いや、そういうことじゃなくてだな」
 そう口にして、言いにくそうにモゴモゴと口を動かしている。アカデミー内でのトラブルでなく、この様子だとホープの体調の心配でもなさそうだ。だとしたら一体何の心配があるのだろう。食いつかんばかりに身を乗り出すセラの視線を前に、ライトニングが居心地悪そうに目線を反らす。どうやら、相当口にし辛い話題らしい。
「お姉ちゃん」
 地を這うようなセラの声。その有無を言わせぬ響きに、ライトニングの肩がぴくりと揺れる。
「言ってくれなきゃ分かんないよ」
 昔からいつだって姉はこうだ。自分のことは後回しにして、本当に大切な言葉を飲み込んでしまう。それを諭すのは、いつだってセラの役目だった。
(その役目はホープ君に渡したいんだけどなあ……)
 スノウと共に歩むことを選んだセラは、もはやライトニングを一番に据えておくことはできない。もちろん世界でたった一人の大切な大切な姉ではあるのだけど、どうしても距離がある分、前と同じように接することは叶わない。とにかくその不満はいずれホープにぶつけるとして、目下の問題は姉のことだ。
 ライトニングは相変わらずモゴモゴと言いにくそうに、唇を開いては閉じてを繰り返している。もう一押し必要か、とセラが業を煮やして口を開きかけた段になって、ようやくライトニングは声を絞り出した。
「……んだ」
 が、あまりにも早口すぎて聞き取れなかった。
「ごめん、お姉ちゃん。もう一回言って?」
「……ホープのやつ、全然手を出してこないんだっ!」
 そこまで一気に口にして、再びライトニングは明後日の方角を向いてしまう。その耳は熟れた林檎のように真っ赤に染まっていた。
「へ……?」
 一瞬、何のことを言っているのか分からずに、セラの目は点になった。手を出してこない。手を……? ぱちぱちとたっぷり十秒ほど瞬きをして、ようやく脳みそがライトニングの言葉を正しく認識する。
 要は……その。恋人同士のお誘いがないってこと?
「えっ……ちょ、ええええええ!? 嘘、なんで!!?」
「そんなのこっちだって知りたい」
「だ、だってホープ君もう二十七歳でしょ!? いい年でしょ!? しかもお姉ちゃん達付き合って二か月目だよね!!?」
「セラ、声が大きい」
「あっ、ごめん、ごめん」
 興奮のあまり席まで立ってしまった始末だ。周囲で食事を楽しんでいた客が、一体何事かとセラのことを見上げているのが分かる。思わず赤面して、セラはゆっくりと着席した。
「えっと……つまり、お姉ちゃんは付き合って二か月にもなるのに、ホープ君が手を出してこないのが心配になったってこと……?」
「……まあ、そう言うことになるな」
 返事をするライトニングの頬は薄っすらと赤い。道理で出し渋りをするわけだ。セラの知っているライトニングは、妹に赤裸々な自分の恋愛事情を話すことを良しとする性分ではない。
「不能とか……」
「それはないと思う」
 そこは断言なんだ。さらりと織り交ぜたホープへの不名誉な言葉は、ライトニングによってあっさりと否定された。ということは、多分、一回くらいは“そういう空気”にはなったということだろう。詳しく聞きたいところではあるものの、今回の主題はそこではないので保留とする。
「流石にキスくらいはしてるよね」
「それは…………ある、が……」
 口にすべきかどうか悩んで、喋らなければ進まないと判断したのだろう。微かに頬を赤らめて、視線を明後日の方角にやったライトニングが返事をする。
「あるけど?」
「な、なんでもないっ」
 我が姉ながら思春期のような初々しさだ。というかこんな姉の姿は初めてかもしれない。恋をするとは何とやらということか。……いや、ようやく自分のことに目を向ける余裕ができたと言うべきなのだろう。ライトニングはいつだってセラのことばかり気にかけていたのだから。
 とは言え、これじゃあ大人の女っていうより、オンナノコって感じだよねえ。とっくに成人を迎えたはずの姉を前に甘酸っぱい気持ちになったセラは、そこでぴんときた。――これではないだろうか。ホープがなかなか姉に手を出さない理由。
 要するに、恋愛経験ゼロだった姉は初心なのだ。ホープが二十七であることを考えると、それなりに恋愛経験くらい積んでいるだろう。あの感じであればさぞかし年上女性にモテるに違いない。
 そんな中、はたから見てもそうだと分かるほど熱心に追いかけて追いかけて、ようやく捕まえたと思った人がコレ。
「だんだんホープ君が可哀想になってきた……」
「どういうことだ、セラ」
 セラの言葉にむっと顔をしかめたライトニングは、ホープの苦悩などまるで知りもしないのだろう。改めて姉の姿を頭のてっぺんから足先まで見る。
 我が姉ながら、本当に美人だ。贔屓目抜きにそう思う。つやつやした薔薇色の髪も、すっと通った鼻筋に大きな瞳も。どこぞのモデルと言ってもまかり通ってしまうような軍人離れした端麗な容姿だ。
 本当に、見た目は(もちろんその人の好みにはよるだろうが)抜群にいいはずの姉の姿。スタイルだってけして悪くない。というよりも、セラが見ている分には十分すぎるプロポーションを持っているはずだ。
「愛されてるよねえ、お姉ちゃん」
「……そんなことは分かっている」
 さらりと惚気返してきた。とは言え、口にして照れ臭かったのか、やっぱり視線は外されたままだし、落ち着かなさそうに流した髪をいじいじ触っている。
「でも私は……その、ホープとならそういうことをしてもいいと思っているのに……」
 手を出してこないんだ。ぽつんと口にして、見ている方がそうだと分かるほど、ライトニングがしゅんと萎んでしまう。
「お姉ちゃんはホープ君とそういうことしたいんだ」
「口にするようなことじゃないとは分かっている。だが、こんな時どうしたらいいのか分からなくて……」
 それで、セラ。恥を忍んで頼む。おまえの力を借りられないだろうか。続いたライトニングは、今度こそセラの目を見て口にした。
「……」
 言葉はすぐに出てこなかった。
 ライトニングの誕生日が近くなると、どんなものが欲しい? とセラは何度も訊ねたものだった。「おまえが選んでくれるものなら、何だって嬉しいよ」そう言って笑っていたのは、まだ二十歳にもなっていなかった姉の姿だ。そんなんじゃだめだよ、女の子なのに。何度もそう言い聞かせたけど、姉はすっかりセラの父代わりになってしまって、自分の欲しいものを口にしようとしなかった。
 今にして思う。多分、そこまで欲しいものなんてなかったのだろう。年頃の娘が興味を持つようなお洒落な服も、可愛い化粧品も、ブランドものも。そういうものへの興味は一切切り捨てて、姉のすべては妹のために注がれていた。
 母が亡くなってからというもの、それはますます加速して、姉は進学することを選ばず、軍へと志願した。そして、生活を守るためにただただがむしゃらになって働いていた。
 そういう姉の姿を間近でずっと見てきた。誰よりも一番に幸せになってほしかった。その姉が、こうして自分の意思表示をして、セラの力を頼ってきたのである。
「任せて。ホープ君がメロッメロの骨抜きになってお姉ちゃんに飛びつきたくなるような、とびっきりの計画を考えてあげる!」
 大好きな姉のためにセラが一肌どころか二肌くらい脱ぐつもりで燃えたのも、当然といえば当然な話だった。

   * * *

「プリン系の魔物の新種が発見された。大型のものだな。発見されたのは居住エリアより離れた区域だったが、引き続き調査が必要だ。研究チームの奴らに言わせると、生態系に変化があるみたいだな。そのあたりのデータはまとまり次第、上にあげておく」
 とりあえずはこんなところだな。手短に報告を終えて、ライトニングは顔を上げた。眼前には、生真面目な表情でライトニングの報告に耳を傾けている男の姿がある。
 ホープ・エストハイム最高顧問。新生コクーン・ブーニベルゼにおける最高指導者。今やすっかりこの時代の覇権を握ったと口にしても過言ではないというのに、そこに胡坐をかくことがなく、昼夜慌ただしく仕事をこなしているというとんでもない生真面目人間だ。一介の軍人に過ぎないライトニングを、こうして「現場の声が何より一番重視すべきことですから」と取り次いでしまうあたり、彼の仕事に対する姿勢が伺える。とは言え、最近はそれだけが理由ではないのだろうが。
 ホログラム展開されたキーボードを叩く手が止まった。ホープの視線がライトニングを捉える。――今だ、そう思った。
「今日の仕事はこれで終わりなんだ。おまえの仕事の具合にもよるんだが……この後の時間は空いているか」
「大丈夫ですよ。空けています」
 間髪入れずに、ホログラムを切ったホープの返事が返ってくる。革張りのソファから立ち上がる気配。続くように立ち上がったライトニングよりも少し高い目線が降ってくる。
 かつて知っていたものとは、また少し違った高さのものだ。柔らかく目を細められたそのエメラルドグリーンの輝きに、不意打ちでどきりと胸が高鳴る。こういう些細な仕草がいちいち様になるからずるい。
「ちょっと遅い時間ですけど、ライトさん夕食まだでしょう? 食事にでも行きましょうか」
「それなんだが、今日は私に運転させてくれないか」
「ライトさんが?」
「ああ。行きたいところがあるんだ。その……構わないだろうか?」
 ライトニングよりも目線の高いホープを見上げるようにして訊ねてみれば、いいですよ。と快い返事が返ってくる。ほっと安堵の息を小さく零して、ライトニングは踵を返した。断られなくて良かった。
「先にエアカーで待っている。おまえの仕事が落ち着いたら落ち合おう」
「なるべく早く片付けます」
「ああ、待ってる」
 そう口にすれば、ホープがくしゃりと顔を綻ばせる。背中越しに彼に手を振って、ライトニングは扉をくぐり抜けて行った。もう何度もここまで通された甲斐あって、アカデミーの複雑な廊下も大分頭に入ってきた。階段を下りて、地下駐車場へ向かう。まもなく見覚えのあるエアカーが見えてきた。
 白いボディのエアカーは、相変わらず手入れが行き届いている。センサー部に手を触れると、すでに登録されてあった生体認証でロックが外れる音があった。付き合うことになってすぐにホープによって登録されたものだ。
 いいのか、大事なセキュリティなんだろう。そう尋ねれば、あっけらかんとした口調で「ライトさんだからいいに決まってるじゃないですか」と返されたことは記憶に新しい。そんなホープに口先では呆れ果てながらも、グラン=パルスを共に旅した頃と同じように全幅の信頼を預けてくれることが、ただ、嬉しかったのを覚えている。
 ライトニングはロックの外れたドアを開いて、運転席へと体を滑り込ませた。ゆったりとした座り心地のいいシートに体を沈めて、そこでようやく息を吐く。
「……緊張した」
 誰にともなくそう零せば、どっと疲労が湧き上がってきた。ホープは知りもしないだろう。さりげなさを装って彼を誘うことに、ライトニングがどれだけの勇気を必要としたことかなんて。
 とは言え計画はまだ始まったばかりで、むしろこれからが本番だ。「まどろっこしいことは苦手だもんね、お姉ちゃん」と姉の性分を理解しきっているセラは、なるだけシンプルな手法を提案してくれたものの、大胆といえば大胆な手法に当初尻込みしたものだ。
 とは言え、そのくらいのことをしなければ、鈍感なホープは分かってなんてくれないだろう。あの時触れてくれた時のように、触れてほしいと思っているライトニングの気持ちなんて、きっと知りもしないのだ。
「お待たせしました」
 不意に声が降ってきて、顔を上げるとフロントガラス越しにホープの姿が映り込んだ。
「案外早かったな」
 思わず目を見開くライトニングに「そのつもりでしたから」と微笑んでホープが助手席に滑り込む。流石は持ち主。無駄のない鮮やかな乗り込み方だ。
「ライトさん」
 名前を呼ばれて振り返れば、端正な顔が思った以上に近い位置にあった。
「っ」
 そのまま顎を持ち上げられてキスをされる。一度目のキスは触れるだけ。唇と唇の柔らかさが伝わってくる。
「相変わらず突然だな」
「いつだってライトさんにキスしたいと思ってますよ」
 甘やかな視線に絡めとられてしまう。瞼を伏せれば、二度目のキスが降ってきた。口内を探り合うかのような深いキス。……だけど、それ以上のことはしない。
 人気はないですけど、まったく来ないわけではないですから。そう口にして切り上げたホープの余裕ある微笑みに、つきりと胸が痛んでしまう。
 私はもっとその先まで触れて欲しいのに。そう口にするのは恥ずかしくて、まだできていない。できていたらそもそも、セラに相談するような事態になどなっていないのだ。
「これからどこに行くんですか?」
 何も知らないホープが鞄を足元に下ろしながら、心なしか興味深そうに尋ねてくる。
「そのことなんだが……せっかく連れて行くんだ。どうせなら秘密にしていたい」
「秘密、ですか?」
「ああ。その方が楽しみが増すだろう?」
 ジャケットの中に忍ばせていたものに手を伸ばして、ライトニングはそれをホープの膝の上に乗せた。ホープのエメラルドグリーンの瞳が丸くなる。
「なるほど。それにしても準備がいいですね」
 膝の上に乗せられた布切れを手に、ホープは苦笑してみせた。彼が今手にしているのは、視界を遮るためのもの――いわゆる“アイマスク”と呼ばれる類のものだからだ。
「カッコいいだろう?」
「ライトさんのセンスをちょっと疑ってしまいますね」
 アイマスクを広げたホープが苦笑する。それもその筈、アイマスクには不細工に間延びした目が刺繍されているからだ。ひと度装備すれば、一瞬のうちに間抜けな姿になってしまう未来が約束されている。
「言ったな」
 ホープの言葉に軽口を叩けば、くすくすと楽しそうな声が返ってくる。
「いいですね。たまにはこういうのも」
 どうやら乗ってくれる気になったらしい。手渡されたアイマスクをホープが装着する。
「どうです、似合いますか?」
「男前になったぞ」
「それは光栄だ」
 今やホープはアカデミーというブーニベルゼを運営する上で欠かせない機構の最高顧問という立場にある。アイマスクをさせてエアカーで本人に覚えのない場所へ連れて行くなんて、状況が状況なら騒ぎになってもおかしくない絵面だ。
 言い換えれば、それだけホープはライトニングに全幅の信頼を置いているということか。
「それほど時間はかからない。眠っていてもいいぞ」
「とは言え、せっかく助手席に座っているんですし、勿体無い気がします」
 そうホープは口にしていたけれど、視界を暗闇にされた状態で、ましてや連日の激務で疲れ果てていたのだろう。ライトニングが運転をしていると、静かになったホープの頭が助手席で揺れているのが分かった。
 そう言えば、旅していた頃のホープもよく眠っていた。体力のないホープは、その日の野営地を決めるとあっと言う間に船を漕いでいたものだ。
 危なっかしくてしょうがない手のかかる少年が、ライトニングの後を追いかけて、次第に頼もしく成長していく。それに喜びを覚えていた自分のことをライトニングは知っている。
 そこまで思い出して、ライトニングはふっと口元を緩めてみせた。
 思えば、随分と遠い場所へと来たものだ。あの頃十四歳だったホープとライトニングの関係は、今や逆転した。彼は二十七歳になってライトニングは二十一歳のまま。子供の頃の彼の記憶を鮮明に焼き付けていたライトニングとしては、再び出会ったホープは記憶の中の彼とは何もかもが違いすぎて、随分と戸惑ったものだった。
 それでも、ホープはホープだった。大人の彼と子供の彼と。どちらも今や、ライトニングにとっては掛け替えのない大切な人だ。
 旅していた頃の自分が今の自分を知ったらきっと驚くだろう。まるで弟子のような気持ちで接していた少年と恋仲関係になっていて、自分は今、彼を誘惑しようとしているのだから。
 うつらうつら船を漕いでいるホープは、十代の頃の面影を感じさせた。体はすっかり大人になったというのに、妙に当時の面影を重ねてしまうのは、きっと昔を思い出してしまったからなのだろう。
 苦笑しながらライトニングはハンドルを切った。――目的地に到着したのだ。
 疲れて眠っている彼を起こすのは気の毒だとも思ったものの、今日のために人肌脱いでくれたセラを思うと、今更引くことはできなかった。
 きゅっと手のひらを握り締める。覚悟はもう決めたはずだ。やるしかないならやるだけだ。
「着いたぞ、ホープ。起きてくれ」
「……えっ、あ、ああ……眠っちゃっていたんですね。すみません」
 ぽやぽやとしたホープの声。視界を遮るものに気が付いて手を伸ばそうとするホープの手を掴んで、ライトニングはゆっくりと囁いてみせた。
「目的地まで案内する。だからマスクは外さずに付いてきてくれ」
 寝起きのホープは、その言葉に素直に従ってくれた。ライトニングはエアカーから降りると彼の手を引いて、目的の場所へと進んでいく。視界を遮られてホープは幾分頼りなさげではあったものの、手を引くライトニングの手をしっかりと握ってくれた。
 まもなく目的の場所にたどり着いた。ここまで来たら、もう後には引けない。ライトニングはすうっと息を吸った。心臓は今にも暴れだしてしまいそうだ。……大丈夫。セラの言葉を信じて、後は突き進むだけだ。
「マスクを取っていいぞ」
 ライトニングの言葉に、ホープがマスクに手をかける。そうして彼は解放された視界でライトニングを見て、それからその背後の風景を視界に収めた。
「…………え?」
 彼の困惑は無理ないことだと思う。
 開けた空間でまっさきに目に付くのは大きなキングサイズのベッド。しかも、天蓋付きの豪華なやつだ。いかにも寝心地がよさそうなベッドには仲良く枕が二つ並んでいる。
 その隣に隣接しているのは全面ガラス張りのバスルーム。こちらもゆったりと広くスペースがとってあって寛げそうな雰囲気が漂うものの、カーテンなど視界を遮るものは何もなく、外からはほとんど丸見えになってしまっているのではないだろうか。ふかふかとしたソファ。壁には薄型のディスプレイがかかっている。個室としての機能は十分に兼ね揃えながらも、意図的にプライバシーを取り払われた空間。しかし、出入り口は人目につかないように配慮されている。
 まだホープとライトニングが恋仲関係になる前のことだ。何の因果か立ち寄ることになったラブホテルの一室が、今再び目の前には広がっていた。

   * * *

 数か月前の話だ。ホープにエアカーで送ってもらったその帰り、天候システムの不調エリアに入ってしまって雨宿りをすることになった。そこで行き着いたのが、何の因果かラブホテル。今、足を踏み入れているこの一室だった。
 まだ付き合ってすらいなくて、ライトニング自身、ホープを異性として認識していなかった時期の話だ。というより、あの一件でホープを異性として認識せざるを得なくなったというのが正しいか。
 とにかくあの日、ホープは本当に言葉通り、ライトニングに手を出すことはなく、自宅まで送り届けてくれた。首筋に落とした一度きりのキス以外は、彼は一貫して紳士だったのだ。
 あの一件以来どうにもホープを意識してしまって、どことなくぎくしゃくした日々が続いたが、紆余曲折を経てライトニングとホープは恋仲関係になった。そこまではいい。
 付き合ってからのホープはまるで旅した頃のような気やすさがあった。事実、彼の隣は居心地がよかった。まるで、昔の関係に戻ったような気さえした。最初のころは正直、それにほっとしていたというのは確かにある。変に身構える必要がなくて、自然体で接することができるホープに満ち足りていたのも事実だ。
 だけど、ライトニングはすでに知ってしまっていた。涼しい顔をしたその下に、何もかもを翻弄させてしまうような激情を秘めたホープの姿を垣間見てしまったのだ。
 いつあの低く掠れた声で囁かれるのか。あの大きなてのひらで触れてくれるのか。薄い唇で熱い吐息を零してくれるのか。――待てども待てども、ホープが触れてくることはない。付き合ってからのホープはとても紳士的で、あの日ラブホテルで垣間見せた激しさなんてまるで嘘みたいな穏やかさだった。
「えっと、あの……ライトさん、この場所は……?」
 困惑しているホープの声が聞こえる。
 ただ待っているだけじゃ駄目だよ。お姉ちゃんからホープ君を誘惑しなきゃ! セラのアドバイスを受けて、必死になって考えた。どうすれば、ホープは“その気”になってくれるだろう――…。そして、その問いの答えがこの場所だった。
 そういう雰囲気にならないなら、強制的に環境から変えてしまう。その作戦は、確かに合理的だとライトニングも唸ったものだ。
「見て分からないのか。ラブホテルだ」
「いや、それは分かるんですが……」
 どうして、ここに。そう言いたげなホープを前に、ライトニングは彼を見上げて口にした。
「ここの料理の味が恋しくなってな」
 ……って、そうじゃない! そんなものは嘘だ! ただの建前だ!
 本当はここで、ホープとそういうことをしたかったから、と口にするはずだった。だけど妙に照れが入ってしまって、咄嗟に全然違うことを口走ってしまった。
 正直、ここまで連れ込んでおいて拒まれたらどうしようという思いもある。そんなことはないとは思いながらも、セラの言う通りホープが不能だったり、はたまたそっち方面は男色だったりしたらどうしよう。そういう思いが全くないとは言い切れない。
 気が付けばライトニングは前回と同じようにメニュー表を手に取り、料理の注文をしてしまっていた。ホープはぽかんとしていて、完全に置いてけぼりになっている。そうじゃない、そうじゃない、と思ってはいるのに、行儀よくソファに座り、注文した料理が来るまでの気まずい時間を明らかに不自然な話題でホープと談笑して過ごし、届けられた(流石に今回は量を控えた)料理をホープと分け合った。そうして気が付けばお互いラブホテルにいるという不可解な状況を追及することなく、健全な一時間を過ごしてしまっている。
(違う、こうじゃない!)
 食後のコーヒーを啜りながら、ライトニングはようやく当初の目的を思い出していた。食事をしにきたはずじゃない。ホープを誘惑するためにここに来たはずだ。
 そもそも当初の計画では、ラブホテルに着いたらなんとなくそういう流れができるはずだった。元来ここは“そういう事”をする目的で利用する場所である。おのずとライトニングの意思を理解したホープがリードしてくれるのでは。そういう目論見があったからに他ならない。
 しかし、現実にはどうだ。ライトニングとホープは食事を楽しみ(しかも結構美味しい)、挙句にコーヒーを啜ってまったりしてしまっている有様だ。土壇場で恥が勝ってしまったとは言え、これじゃあ何もかもが予定と違いすぎる。
 ひどく泣きたくなってライトニングは天井を見上げた。ピンク色の天井だ。どうかしているセンスだと思う。“そういう事”をする場所とは言え、あまりにも安直すぎるのではないだろうか。
 視線を隣へ移せば、ライトニングに倣ってソファに腰かけたホープが、これもまた優雅にコーヒーを啜っている。それがいちいち様になるから腹だたしい。
 キスをねだってみたらいいのだろうか。それとも、押し倒してみるべきか。驚く彼のネクタイを解いて制服を剥ぎ取ってしまえば、流石に鈍感なホープでも分かってくれるんじゃないだろうか。
 ぱちり、とホープと視線が合った。エメラルドグリーンの瞳が悪戯っぽく細められる。途端、ぎゅっと心臓のあたりが痛くなって、ライトニングは狼狽えた。いやらしいことで頭をいっぱいにしている自分がひどく恥ずかしくなってくる。
「っ、シャワーを浴びてくる!」
 ほとんど逃げるように口にして立ち上がる。
「え、ちょ、ちょっと待ってくださいライトさん!」
 ホープの言葉を振り切って、備え付けのバスローブを引っ掴み、ライトニングはバスルームへと駆け込んだ。ほとんど脊髄反射でものを言った。だから、バスルームに駆け寄ってから、ライトニングはあっと言葉を飲み込むしかなかった。
 そもそもここは“そういう事”をするための場所である。それ以上でもなく、それ以下でもない。ラブホテルなのだ。
 だから、非日常のシチュエーションで興奮を仰ぎたてるような構造になっているはずだし、現にその環境の力にライトニングは期待をしていた。その事実は今更疑いようもない。
 辿り着いたバスルームにはシャワーもついているし、バスタブも備え付けられていた。仮にもホテルという名前を冠しているだけあって、ゆったりと広く、手入れも行き届いている。唯一問題があるとすれば――…。
(全面ガラス張りだった……)
 その、ただ一点における。要するにバスルームに入ってしまうと、その中での行為が全部見られてしまうのだ。既視感に眩暈がしそうになりながら、ライトニングはバスルームの前で立ち尽くした。ホープの視線を背中でひしひしと感じる。
 やっぱり無理だと引き返すべきなのだろうか。こんなところにまで連れ込んでおいて、その理由すらホープには話せていない。ああ、でもそれだと全部口にしなければならない。ホープに抱かれてみたいだなんて、そういうライトニングの赤裸々な気持ちも、全部、全部ホープに筒抜けになってしまう。
 振り返るべきか、否か。……いや、前だけ見ていると決めたのだ。ここまできて諦めてどうする!
 ライトニングはネクタイに手をかけた。アカデミーから支給されたものだ。手早くそれをシャツから抜き取り、脱衣所の籠の中に放り込む。そのままジャケットの金具を順番に外し、頭から抜き取ってしまう。衣擦れ音が妙に生々しく部屋の中に響いているのが分かった。
「ラ、ライトさん……?」
 呆気にとられたようなホープの声が聞こえる。そんな彼の声を聞こえなかったふりをして、ライトニングは次々と身に纏っていた衣服を落としていった。
 とうとう下着だけの姿になって、ライトニングは手を止めた。これを外せば一糸纏わぬ姿になってしまう。おまけにバスルームはガラス張りで遮るものは何もない。正直なことを言えば、全部を見られるのはかなり恥ずかしい。
 怖気づきそうな自分を何とか奮い起こしてライトニングは顔を上げた。ホープを誘惑すると決めたのだ。今更裸の一つや二つ出し惜しみしてどうする。
 後ろ手を回して、ブラジャーのホックを外す。ぷつり、と金具が外れて、抑えを失った乳房がブラジャーを押し上げたのが分かった。
 もはやただの布切れになったブラジャーを籠の中に落として、ゆっくりとショーツにも手をかける。心臓は今や暴れ出してしまいそうなほど、大きな鼓動を立てていた。どっどっどっど。こんなに早く鼓動していたら、いつか壊れてしまうんじゃないだろうか。そんな心配さえしてしまう。
 バスルームのドアを開いて体を滑り込ませた。当たり前といえば当たり前なのだが、裸だからやはり肌寒い。バスタブに足を入れて、お湯のコックを捻る。まだ蛇口から出るのは水で、温まるまで少し時間がかかるだろう。
 不意に、努めて意識しないように心がけていた部屋の中に意識が向いた。ライトニングがホープの立場なら、きっと目線は壁側に向けて見ないよう心掛けただろう(内心は大変なことにはなるだろうが)。なんとなくそういう考えがあったものだから、視線を向けた先で、エメラルドグリーンの瞳と真正面からかち合うことになるだなんて思ってもみなかった。
 ホープは壁に視線を向けることをしていなかった。それどころか、食い入るようにじっとガラス越しのライトニングの姿を見つめていた。
 見られている。ライトニングのすべてをホープに見られている。
 絡みつくような視線が、ライトニングの白い肌を、首筋を、乳房を。そして、その頂にある薄桃色の突起を見つめている。鍛え上げられ、引き締まった腹部。その下にある女性らしいまろやかな肉付きの尻。すらりとしたカモシカのような脚。
 ライトニングを構成する肉体のすべて。それらを瞳に刻み付けるかのようにホープがガラス越しに見つめている。
 その熱の籠った、全身をまるで愛撫するかのような眼差し。触れられていないのに。ただ、ガラス越しに見ているだけなのに。……まるで、ホープに触れられているような錯覚にさえ陥ってしまう。
 不意に羞恥が込み上げてきて、胸を手で覆い隠したくなった。あの何もかも見透かすような眼差しで見られていると思うと、ぞくぞくとしたものが全身を駆け巡って、どうしようもなく逃げたくなってしまう。
 違う、ホープを誘惑するんだろう!
 ともすれば及び腰になりそうになる自分自身に叱咤して、ライトニングは唇を噛み締めた。ホープは優しい。ライトニングのことを大切にしてくれているのも分かる。彼の落とすキスはいつだってその性格を表すように穏やかだった。時折交わす深いキスも、どこかライトニングを気遣ったもの。切ない疼きを残すばかりで、それ以上先に進むことは決してなかった。
 自身に魅力がないのかと落胆したこともあった。だけど、かつてこの場所で組み敷かれた時のホープの激しさを忘れることなんてできやしなくて。
 あの、何もかもを貪るような瞳で映し出して欲しい。低く、甘い声で囁いて、蕩けさせてほしい。なあ、ホープ。おまえは気付いてなんていないだろう。私がどれほどおまえのことを欲しているかなんて――…。
 蛇口から捻り出される温かな湯を確かめて、ライトニングはシャワーのコックを捻り直した。降り注いでくる温かな湯が、全身を包み込んでくれることが分かる。
 目を閉じて、その温かさに全身を委ねた。
 見たければ、存分に見ればいい。これが、おまえが触れてこなかった身体だ。おまえに触れて欲しくて欲しくて、ずっと待ち望んできた剥き出しの私だ。すぐになんて出てきてやらない。おまえが焦れて、焦れて、どうしようもなくむしゃぶりつきたくなるように見せつけてやる。
 頭のてっぺんから足の先まで降り注ぐシャワーを浴びながら、ライトニングはガラスの向こう側を見た。
 ホープは微動だにせず、ただライトニングを見つめている。そんな彼に向って、あえて余裕ぶって微笑んでみせる。そうすれば、彼が切なそうに愁眉になるのが分かった。
 なんて艶っぽい顔をするのだろう。普段は理知的な輝きを放つエメラルドグリーンの瞳は、隠しようもない欲で濡れていた。その貪るような視線をただ一身に浴びながら、触れさせない。
 ぞくぞくとした恍惚感が背筋を駆け上っていくのが分かる。触れてない。触れられていない。そうだというのに、まるでホープが全身を愛撫しているような感覚にさえ陥ってしまう。ホープが甘い吐息を零している。食い入るように首に、腹に、胸に視線を向けている……。あの長い指で触れてくれたなら、どれほど気持ちがいいのだろうか。
 腹のあたりが不意にきゅんと疼いてライトニングは太ももを擦り合わせた。シャワーを浴びているから一見分からないものの、きっと、もう濡れている。
 コックを捻り直して、ライトニングはシャワーを止めた。備え付けられていたバスタオルを手に取って、手際よく体に巻き付けていく。
 不思議なことに、バスルームに入った時に覚えた羞恥はずいぶんと薄らいでいた。これなら、セラが準備してくれたものだって使えるかもしれない。購入した時は、こんなものは恥ずかしすぎて使えないと思ったものだったが。

   * * *

 まるで女神みたいだ。
 生まれたままのライトニングの姿を見て、ホープはそうだとしか思えなかった。
 世辞や修飾語で飾り立てた言葉を必要に応じて使わねばならない時だってある。最高顧問というのはそういう役割をホープに求めた。
 だけど、今、ガラスの向こう側で一糸まとわぬ姿を惜しげなく晒しているその人は、何度も夢精した想像上の姿よりもずっとずっと鮮明に美しくて、そして艶めかしかった。
 どうしてこういう状況になったのか、最初はあまりにも唐突すぎてよく分からなかった。何か言いたげだな、そう思うことは今まで何度かあったものの、意地っ張りなライトニングが簡単にホープに本心を打ち明けてくれるとは思わない。そう遠くないうちに心を全部預けてくれたら、その時に彼女のすべてを貰おう。そう思っていたというのに、まさか彼女自らの手によって二度もラブホテルに連れ込まれることになるとは思ってもみなかった。
 本当に、ライトさんは時々信じられないようなことをしてみせる。
 十四の時から憧れ続け、二十七になってようやく手が届いた人だった。正直、告白にOKしてもらった時は、天にも昇るような気持だった(周到に根回しをした上で、ほぼ確実にOKがくるとは分かってはいたものの)。
 強くて、格好良くて、だけどごく当たり前に弱いところも持っている女の人。まるで光のように、これまでの道筋を照らし続けてきてくれたライトさん。彼女が異性と付き合ったのはホープが初めてだということを聞いて、絶対に大切にしようと心に決めた。
 キスをすれば、まるで少女のように微かに肩を震わせたライトニングが「こんなものだな」と精いっぱいの虚勢を見せた時の可愛さと言ったら!
 内心壁をぶち破りたいくらいの衝動をホープが抱えていたなんて、きっと彼女は露ほども知りもしないだろう。
 彼女と過ごす時間すべてがホープにとって光みたいだった。立場上そう頻繁に会うことは叶わないけれど、それでもゆっくりと育む彼女との関係が、泣きたくなるほど幸せだった。
 本音を言えば、そりゃあいい大人だから、彼女のすべてを見たいとも思う。だけど、キスするだけで肩を強ばらせるライトニングのペースに合わせてあげたかった。
 幸いにも、待つことは慣れている。すでに十三年も彼女のことを待っていたのだ。今更、それもたかだか数か月。それまでの年月のことを思えば、全然大したことではない。初心なライトニングを怖がらせることがないように、かつての気安い“ホープ”のまま、いずれは手順を追って。その時に彼女のすべてを貰おう――というホープのフェミニスト思考は、破天荒なライトニングの行動によって、今まさに風穴を開けられたのだった。
 微かに震えながら、自らの下着を外す彼女の姿に正直信じられなかった。連れ込まれた場所が場所だけに、何が彼女をそこまで焦らせたのか、当初様子を見るつもりだった。ここの料理の味が恋しくなった、だなんて見え透いた嘘を付いたときは、やはり背伸びをしたのだと内心先走らなかった己に拍手を送りたかったくらいだ。
 前ここに来た時は、ライトさんが意識してくれなかったこともあって焦っていたけれど、今は事実上恋仲関係だ。大丈夫。多少のことなら堪えきれる自信がある。現に、前回だって(途中少しボロが出たけど)我慢しきってみせた。
 ……が、ここにきて彼女は再び突拍子もない行動に出てみせた。自ら服を脱ぎ捨て、まるでホープに見せつけるかのようにガラス張りのバスルームの中に飛び込んだのである。
 羽化する蝶のように、衣服を脱ぎ捨てたライトニングの肢体は美しかった。白い背中。まろやかなラインを描く尻。初めて見る彼女の鍛えられた、それでいて美しい身体に目を奪われてしまうと、もはやそれ以外の一切が霞んで見えた。
 触れたい。ライトさんに触れたい。柔らかそうな胸。桜色の突起は触れてもいないのにつんと立っていて、あれに口付ければ、一体どんな声を上げてくれるのだろう。
 滑らかなお腹。鍛えられた程よい肉付きの形のいい足。指を這わせて、思う存分に触れたい。あの綺麗な足の付け根の彼女の大事なところを割り開いて、己を突き立ててしまいたい。
 目の前の光景にもはや自制心はずたずたになって、ライトニングに触れる妄想ばかりが浮かんでくる。
 不意にこちらに顔を向けたライトニングのアイスブルーの瞳と目線が合った。一糸まとわぬ彼女を一心不乱に見つめていたホープのことをどう思ったのだろうか。その時、ライトニングが唇を弧に描き、ふっと妖艶に微笑んでみせた。
 ――心を奪われる、というのはまさにこのことを指すのだろう。どくん、と心臓が大きく音を立てる。
 こんなところに誘い出して、見せつけるように裸になったのだ。状況から、もはや察するまでもなくライトニングからの“お誘い”であることは間違いない。
 触れるのはまだ早いだなんてとんでもない。彼女がホープを欲しがって、慣れないだろう行為で誘惑しようとしている。
 ……本当に。本当に、とんでもない人だ。十四歳のあの時からホープの心を奪っていったその人は、今なお心を掴んで離さない。
 たまらない。今すぐにでもあのガラスを叩き割って、彼女を引き寄せて、無茶苦茶に掻き抱きたい。そうだというのにガラス越しの彼女の肢体があまりに綺麗すぎて、触れていいのか分からないという矛盾した気持ちを抱えている。
 不意に、ぴちょん、という音で我に返った。食い入るように見つめていたライトニングがコックを捻り、シャワーを止めたのだ。彼女は慣れた仕草でバスタオルを体に巻くと、髪から雫を滴らせながら、ゆっくりとバスルームの扉を開いて出てきた。
 立ち上がったのはほとんど反射的だった。まるで蛍光灯の光に惹かれる夜光虫のように、無心になってホープはライトニングに近づいていった。
「ライトさん……」
 素肌もあらわに、雫を滴らせる彼女の瞳と目線が合う。こういう時、もっと自分はスマートな言葉を吐けたはずだ。女性をリードして、うまくそういう雰囲気に持ち込むような。
 そうだと言うのに、ライトニングを前にしたホープは、まるで十四の少年のようになってしまう。喉の奥に言葉が張り付いてしまって、音にすることができやしない。
 持ち上げた手のひらが行き場を失って宙を彷徨う。触れたい。ライトさんに触れたい。そのアイスブルーの眼差しに惑わされるように唇を開きかけたところで、不意に額を軽く押される感覚があった。
「おまえもシャワーを浴びてきてくれないか」
 そう口にして、ライトニングが目を細める。途端、羞恥が込み上げてきてホープは頬を赤く染めた。
「……そうですね。すみません、気が付かなくて」
「そうしたら、一緒に」
 まるでモデルのように整った顔で蠱惑的に微笑んで、ライトニングが唇から吐息のような声を零す。その声音すらすでに甘ったるく聞こえてしまうのは、すでにホープは彼女に惑わされてしまっているからなのか。
「いけないことをしよう」

   * * *

 ざああ、と水が流れる音がしている。バスローブの紐を結び終えたライトニングは、そこでようやく顔を上げた。
 振り返って考えるまでもなく、ずいぶんと大胆なことをしている自覚はあった。自分の吐いた数々の恥ずかしい台詞に赤面して、ライトニングはかぶりを振る。恐ろしく恥ずかしかったが、しかし、結果としては上々だろう。
 熱の篭ったホープの眼差しがまだ瞳の奥に焼き付いている。
 穏やかな表情の下に隠された獣のように荒々しい雄の表情。以前このラブホテルで一瞬だけ見せた、剥き出しのホープがそこにはあった。
 あんな風に見られていただなんて。そう思うと、きゅっとお腹の奥が疼いてしまう。ほとんど無意識に足を擦り合わせてから、ライトニングはバスルームに視線を向けた。
 そこに入ることに多大な勇気を必要としたライトニングとは対照的に、ホープはまるで躊躇なんてしなかった。ほとんど力任せにネクタイを引き抜き、ジャケットを投げ、次はズボンといった体で、あっという間に全裸になってバスルームの中に入っていった。履いていた下着でさえ、なんの躊躇もなく引き下ろしたものだから、ライトニングの方が思わず赤面してしまったくらいだ。
(あれが……ホープの)
 明るい照明の下で、浮き彫りになったホープの体は、ライトニングが普段接する調査員達に比べれば確かに筋肉の厚みは薄いものの、見ていてはっとするような艶めかしさがあった。
 普段はほとんど肌を露出しない彼の体だから、余計に照れてしまうのかもしれない。盛り上がった胸筋や腹の窪み、一回りも太い首筋を滴る雫。そして何より彼の下腹部。今は落ち着きを取り戻しているようだったけれど……先ほどなんて、その。とても大きく膨らんでいて、あれがライトニングの中にこれから入ってくるのだと思うと、どうにかなってしまいそうだ。
 ふっと顔を上げた時、こちらに視線を向けたホープのエメラルドグリーンの瞳と目が合った。目を細めて、にやりと微笑まれる。その薄い唇が言葉を形作るのが分かった。
『ら、い、と、さ、ん、の、え、っ、ち』
 そこまで読み取って、正しく言葉の意味を理解する。思わず息を飲み込んだ。そもそも、おまえだって私の裸を見ただろうが!
 怒鳴り散らしたいところなのに、肝心のホープはにやにやと意地悪く口元を持ち上げたまま、わざとらしくシャワーを浴びることを再開してしまった。行き場のないライトニングの気持ちは一体どうしたらいいのだろうか。
 ガラスの向こう側に浮かぶ男の姿は、よく知るホープのはずなのにまるで知らない男のようだ。初めて見る彼の裸にまだどきどきと胸が音を立てているのが分かる。
 もういい。えっちだろうがなんだろうが、あちらだってライトニングの裸を見たのだ。こちらだって存分に見たって文句は言われないはずだ。
 そう思いながら彼の後姿を見ていたら、ホープはさっさとコックを捻ってシャワーを止めてしまった。そのままバスタオルを頭から被ると、雑に水気を取って、バスルームの扉に手をかける。ホープがバスルームから出てきてしまう。
 待ち望んでいたはずなのに、いざその時が来ると緊張で心臓が今にも爆発してしまいそうだった。思わず腕の前に手を寄せて、深く息を吐く。吸う。……大丈夫だ。ライトニングは、これからホープに抱かれる。大切な彼にだったら、すべてを捧げて構わない。
「ライトさん」
 下着だけを穿いたホープが、ぺたぺたとスリッパの音を立ててライトニングが腰掛けているベッドまでやってくる。しっとりと濡れたプラチナブロンドの髪。いつもは綺麗にセットされているその髪が無造作に首筋に張り付いているのが、妙に艶かしい。
「もう訊ねませんよ」
 何を、とは口にしない。この場所に有無を言わさずホープを連れ込んだ時点で、ライトニングに退路などない。
 ぎっと、膝を乗せたホープの体重でベッドが軋む音がする。
「ああ」
 短く返事をして、ライトニングは顔を上げた。バスローブを握る指先が微かに震える。いよいよ、この時が来た。来てしまったというべきか。じわじわと頬に、耳に、熱が灯っていくのが分かる。
 聞こえないように深呼吸をして、ライトニングはバスローブの紐に手をかけた。呆気なく解かれたその前開きのローブをベッドの上に落とす。ライトニング自らの手で顕になったその姿に、ホープが息を呑むのが分かった。
 これ、可愛くてセクシーで、絶対お姉ちゃんに似合うから! そう店でセラに太鼓判を押されたのは、赤薔薇のような深い色合いのベビードールだった。
 胸元の深いスリットはワンポイントでシルクのリボンがあしらわれている。ブラジャーは付けずに直接身に纏っているから、薄らと素肌がレース越しに透けているはずだ。丈はぎりぎりショーツが隠れるくらいの絶妙なライン。繊細で華美なそれは、普段のライトニングが絶対に身に纏わない類のものだった。
「ライトさん……それは……?」
「やはり、こういう可愛いのは、私に……その、似合わないだろうか」
「そんなことありません! とてもよく似合っていて……綺麗です」
 そう、熱っぽく囁かれる。ぐっと肩を掴まれる感触があった。いつもの紳士的なホープとは対照的な、荒々しさ。ライトニングを見つめるエメラルドグリーンの瞳に情欲の炎が宿っている。
「もっとよく見せてください」
 耳元で低く囁かれた、そう思った次の瞬間には視界は反転している。――ホープに組み敷かれたのだ。
 はっとして視線を上げれば、逆光になったホープの姿が映り込んだ。ぎっと軋むスプリングの音が生々しい。見下ろしているホープの喉仏がこくりと動くのが分かった。
「本当に綺麗だ……」
 噛み締めるようにそう呟かれる。まるで酔ってでもいるかのように、うっとりと口にするものだから、それが世辞でもなくホープの心の底からの感想なのだと分かってしまって、ライトニングは嬉しいのやら気恥ずかしいのやらで思わず頬を赤く染めた。
 あまり見ないでくれ、そう口にしかけて、それが矛盾した言葉であると気が付く。気恥ずかしさで視線を合わすことはできなかったが、そもそもこれらはホープを誘惑するために準備したものであって、身にまとった張本人が隠すのはおかしな話だろう。
 今更隠すことなんてできやしない。だからライトニングは、ここから先どうしていいか分からず、借りてきた猫のようにじっと大人しく身を竦ませていた。
 ……見られている。すごく、見られている。
 頬の熱はもはや隠しようもなく、きっと今の顔色は熟れた林檎のように真っ赤になっていることだろう。
「こっちを向いて」
 ねえ、ライトさん。
 そう甘えられるように声を掛けられる。ホープはずるい。そういう声にライトニングが弱いことを彼はよく知っているのだ。
 恐る恐るそっぽを向いた視線を真上に向ければ、熱っぽく見つめるホープの視線とかち合う。そんな瞳で見つめられると、どうしていいのか分からない。
 瞳に捕らわれてしまったライトニングの唇にゆっくりとホープの唇が近づいてくる。柔らかい感触。瞼を閉じれば、よりいっそうその柔らかさがダイレクトに感覚で伝わってきた。まもなくホープの舌がライトニングの口内に侵入してくる。
「……っ! ……!?」
 深いキスは別に初めてのことじゃなかった。ホープとはすでに何度も交わしたことがある。そうだというのに、彼に組み敷かれて交わした深いキスは、ライトニングにとってまるで未知の体験だった。
(なんだこれ……こんなの知らないぞ……!)
 まるで何もかもを押し流す濁流のような激しく貪るようなキスだった。いつもの優しさや労りをはぎ取った、荒々しい彼の欲望が丸ごと押し付けられている。そんな気さえしてくるキスだ。
 歯列をなぞり、舌を強く絡め、ライトニングの思考をあっという間に蕩けさせてしまう。
(こいつ……!)
 キスが上手すぎじゃないだろうか。薄々そうだと思っていたものの、今ので理解せざるを得なかった。
 ホープは普段は抑えてキスをしていたのだ。でなければ、こんなものは説明できない。そもそも、こんなキスを何度もされたら、あっという間に腰が立たなくなってしまう。
 震える指先で彼の首筋に掻き付いた。ライトニングはこれを待っていたんだ。そう伝わるように、これ以上ないくらい彼の頭を抱きしめる。
 もはやキスだけでホープに夢中になっていた。頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱れている。時折挟む呼吸でさえまどろっこしくて、ライトニングもまた必死になって彼のキスに応えていった。
 激しくて、熱くて、痺れるような心地よさ。このままずっとホープとのキスに溺れていたい。そう思ってさえしまう。
「……!?」
 不意に熱い手のひらがライトニングの脇腹を撫でた。思わずびくんと体が跳ねてしまう。そんなライトニングの反応に、意識を逸らさないでとでも言うかのように、また呼吸を根こそぎ奪うようなキスを贈られる。胸に触れてくる指先とキスで、ホープのことしか考えられない。唇の端からつうっと唾液が零れ落ちるのが分かった。
 ベビードール越しのホープの手のひらはますます調子に乗るばかりだった。繊細なレースの隙間から時折彼の素肌が触れてくるのがもどかしい。下から救い上げるように。形を確かめるように。やわやわと揉みしだく愛撫に、先端部は張り詰めて薔薇色のレース部分を押し上げている。
「……っ!」
 不意に、その場所にぴりっとした甘い痺れが駆け巡った。親指と人差し指の腹。二本の指がライトニングの敏感なその場所を悪戯に摘まんだのだ。
 こんな、誰かに触れられることで得る気持ちよさをライトニングは知らない。ぴりぴりとした甘い電流のような刺激に、思わず体をうねらせる自分のことも。お腹のあたりがきゅんと疼いてしまうのが止められない。
「ぁあっ!」
 不意にホープの唇が外れて、ライトニングの唇からは甘ったるい声が零れ落ちた。その声の高さがまるで自分のものではないようで思わず目を見開いてしまう。そうこうしている間にホープの悪戯な右手が再び敏感なところを擦り上げて、ライトニングは咄嗟強く唇を噛み締めた。
「堪えているあなたもすごくそそるのだけど」
 耳元で、まるではちみつのようにとろりとした声が聞こえる。その声音の甘さにぞくぞくしたものが全身を駆け巡る。まるでホープの声に体を支配されてしまったように、彼の声の余韻がまだ体に残っている。
「声を聞かせて」
 頭の中がくらくらとしている。あの高い声は、まるで自分が自分じゃないみたいで気恥ずかしい。だけど、ホープが望むというならば――。
「……ん、あ……っ、ああっ!」
 今日ここにいるライトニングは、普段のお堅くてつまらないライトニングじゃない。ホープを誘惑して、彼に愛されるライトニングであろうと決めた。だから、そのためだったら何だってする。
 唇に乗せた本能の声は、甘く、高く、見知らぬ他人のようだ。ホープが耳の中に舌を這わせ、乳房をさすり、首筋にキスを落とし、そして、悪戯に先端部を摘まむ。その度にライトニングは甘い砂糖菓子みたいな声を零した。
 ホープが日に焼けていない部分のライトニングの白い肌に唇を寄せる。ちゅっと音を立てて吸われる度に赤い刻印が浮かび上がって、まるでしるしを残されているみたいだ。
 ファルシの操り人形じゃない。ホープに愛された、彼とライトニングの二人だけの所有印(しるし)。
 執拗に胸ばかりに落とされる刻印に思わず体を捩じれば、まるで狙いをすましたかのようにベビードール越しに桜色の先端部に吸い付かれる。舌先で起用に転がされ、押しつぶされると、ぴりぴりとした甘い電流が体を駆け抜けていった。
「ああっ」
 反対側の手のひらで器用に捏ね繰り回されると、そのじれったさに腰がうねる。もはやライトニングの何もかもがホープの思うがままで、彼の日に焼けていない白い肌と薔薇色のベビードールが折り重なるように交じり合う色彩に、目の奥がちかちかとした。
「ライトさん……捲ってください」
 その言葉に誘われるようだ。彼のもたらす快楽に、震える指先が丈の短いベビードールを摘まむ。恥ずかしい。でも……その場所に、触れてほしい。
「……ああ」
 恐る恐る、ゆっくりとライトニングは裾を持ち上げていった。
 微かに息を飲む気配があった。刺すほどの強い視線を感じて顔を上げれば、食い入るように捲りあげたその場所を凝視しているホープの姿が映り込む。ベビードールとお揃いの薔薇色の下着。装飾過多と言えるほどリボンで縁取られたショーツは、店頭で見かけた時、そのあまりの大胆さに当初ライトニングは卒倒しかけたものだ。
 案の定、凝視したホープが興味深げに唇を持ち上げる。ねえ、ライトさん――…その言葉の先を予見して、ライトニングはすかさず先手を打った。
「その……おまえにだけ、……だから」
 口にして、その恥ずかしさに顔が朱に染まっていくのが分かる。ホープによって蕾から今まさに大輪の花を咲かせようとする身体は、今やどこもかしこもピンク色に火照っていた。なんだか泣きそうになって、上目遣いでホープを見上げれば、彼はぐっと唇を噛み締めて何かを堪える素振りになった。女には分からぬ男の何かがあるのかもしれない。
「失礼しますね」
 そう短く口にしたホープが、ライトニングのカモシカのような太ももに手を差し入れた。その付け根にちゅっと音を立てキスされる。ぴりっとした甘い痛み。ここにもホープの赤い刻印が落とされる。
「あなたがこんな大胆な下着で誘ってくるだなんて」
 足の付け根に顔を寄せて、ホープがうっとりとした口調で声を上げている。
「おまえが全然手を出してこないから……だか…ら、んっ」
「すみません。不安にさせてしまったんですね」
「もっと早く、こうし……ふっ、ああっ……ん、こんなことまでしなく……てもっ……」
「そうですね。……すみません」
「そこ、だめ…だ…っ、おかしく、な、…ん、ああ……っ」
「ただ、これだけは信じてほしいんです。僕だって、ずっとあなたに触れたかった」
「や……っ……だめ、だ……! そこ、は……!」
「夢みたいだ」
「……っ……!!」
 ホープの唇で解かれたシルクのリボンのその奥。秘められたその場所は与えられた過度な刺激にぬかるんで、とろとろと透明なシミをシーツの上に作っている。
 ホープから与えられる未知の快楽はひどく甘やかで、このままあっという間に達してしまいそうだ。花芯がひくひくと痙攣していることが分かる。
 肘を付き、震えながら身を起こすライトニングは乞うようにホープの名前を呼んだ。
「……私の中に」
 来てほしい。掠れた声で囁くと、足の付け根に顔を埋めていたホープがゆっくりと体を起こしたのが分かった。エメラルドグリーンの瞳が、もう後には引けませんよ。引く気もないですけど、と囁いている。
「引くつもりなんて最初からない」
 だって、ずっと待っていた。ホープがライトニングを望んでくれることを。
 待って、待って、待ちきれなくなったから、こうして慣れない誘惑だなんて、柄にもないことをしたのだ。ようやくホープが剥き出しの自分をさらけ出してくれたのに、今更引く理由なんてどこにもない。
「本当に、あなたって人は……」
 短くそう言葉を漏らすと、いつの間にかゴムのパッケージを手にしていたホープは口で袋を乱暴に切ると、実に鮮やかな手つきで膨張した自らに取り付けていった。準備が整ったのだろう。ライトさん、と一度だけ名を呼んだホープが熱っぽい眼差しを向ける。そうして彼は、次の瞬間、弛緩していたライトニングの足をぐっと持ち上げた。慣れない体制に腰が高く浮くのがわかる。くちゅり、と粘着質な音が妙に生々しく響いた。
「ライトさん、力抜いて……」
「……んんっ!」
 ぐうう、とライトニングを掻き分けて、ゆっくりとホープが中に押し入ってくる感触がある。バスルームで目にしたホープのあの太いのが、自分の中に。そう思うと、胸がぎゅっと苦しくなる。腹の奥もきゅっと締まりそうになるのを、慌てて息を吐いて堪えてみせた。
 初めて侵入してくる異物の痛みはもっと激しいものかと想像していたものの、意外にあっけなく最奥にまでたどり着いた。戦闘での負傷とは痛みの種類が違うのは分かっているが、まあ、何度も死線をくぐり抜けてきた身としては堪えきれない痛みじゃない。
「大丈夫ですか……ライトさん?」
 それに、多分、初めてのライトニングをホープが気遣ってくれたということも大きいのだろう。ホープの挿入は、それまでの激しさが嘘のように優しかった。そういう奴だ。自分の内側にある激しさを律して穏やかに見せてしまう。だけど今、欲しいのは穏やかな痛みではなくて。
「ああ。……だから、もっと動いて欲しい」
 しっとりと汗が張り付いているホープの髪を掻き分ければ、いいんですか? と言いたげな瞳とかち合う。まどろっこしいものは全部飲み込んでしまうかのように、ライトニングは身を起こしてキスをした。ホープに比べたら全然拙くて、下手くそなキス。だけど、ホープを想う気持ちだけはきっと誰にも負けないだろう。
「もちろん」
 額と額をくっつけた至近距離でにやりと笑ってみせる。次の瞬間、ライトニングの中をずん、と深く抉る感覚があった。
「……っ、もう、我慢、できませんよ……っ」
「そんなものは、最初から……!」
 ぐうっと引いて、もう一度ねじ込まれる。弾みをつけて入ってきたホープ自身を、抱きしめるようにして包み込んだ。
 揺れる体。プラチナブロンドの髪。伝う汗。ベッドのスプリングがぎしぎしと音を立てている。
 このままお互いにどろどろになって溶け合ってしまえばいいのに。絡みつくように腰と腰がぶつかり合って、その奏でる音に酔ってしまいそうだ。振動の中、ほとんど無我夢中でライトニングは声を放つ。
「――必要ないと言っている」
 深く、穿つホープの欲の塊。弾けた熱を丸ごと受け入れながら、ライトニングはきゅっと手のひらを伸ばしたのだった。

   * * *

 五百年も経てば通信機器も進歩する。昔はコミュニケーターと呼ばれていたものだ。すっかり形状の変わってしまったそれを指先で弄びながら、ソファの三分の二を占める大男を背にしたセラは、不満そうに声を上げた。
「全然っ、繋がらないっ!」
 コール音はすでに二十秒は過ぎた。繋がらない姉の連絡先に唇を尖らせるセラの隣で、大男ことスノウはのほほんと笑っている。
「義姉さん、連絡不精だしなあ」
「首尾がどうなったくらいは教えてくれてもいいんじゃない!?」
 ライトニングの誘惑大作戦をプロデュースした本人となれば、やはり結果くらいは知りたいものである。今にもセラは地団駄を踏みそうな勢いだ。
「案外仲良くやってんじゃないの?」
「そうだとしても、連絡の一つくらいあってもいいと思うの!」
 ぷくーっと頬を膨らませるセラの頬を楽しそうにスノウが啄いている。もうとっくに二十歳を過ぎたはずの女性だというのに、丸っこい目元が童顔に見せてしまうセラは、こういう仕草が妙に様になっている。
『もしもし、セラ?』
「やっと繋がった!」
 コール音、三十秒くらいは待っただろうか。ようやく姉の声が聞こえてきて、セラは鼻息荒く通信機の前に顔を寄せた。
「この間の件、どうなった?」
『そんなことを聞きに、わざわざ連絡したのか……』
「お姉ちゃんが報告してくれないから連絡したんだよ!」
 報告、連絡、相談。これ大事! 声を荒げるセラとは対照的に、通信機越しのライトニングが苦笑している様子が伝わってくる。
『その件だったら改めてこちらから連絡するから、今は……』
「もしかして外出中?」
『いや、そういうわけっ、じゃ……っ!』
 ……どうにも姉の声の調子がおかしい。平静を装っているように聞こえるものの、どこか余裕のない声音に、セラはゆっくりとスノウに顔を向けた。
「何だよ義姉さん、せっかくセラからの電話なんだから、相手してやってくれよ」
 スノウの察しが悪いのはいつものことだった。とりあえず、疑惑を確信に変えるべく、セラはゆっくりと言葉を選んで話す。
「もしかしてお姉ちゃん、今ホープ君と一緒にいる?」
『……』
 返事はない。沈黙は肯定と受け取るべきだろう。
 ということは、だ。プロデュースした誘惑大作戦はうまくいったと見てとるべきなのだろう。半眼になりながら、セラは言葉の続きを通信機に向けて放った。
「ホープ君、そこにいるでしょ。お姉ちゃん体力あるとは思うけど、ほどほどにしておいてあげてね」
 あと、そういう特殊なプレイに私たちを巻き込まないでね。暗にそう込めて告げた言葉は、きちんと正しい意図で相手に伝わったらしい。流石は天下のホープ・エストハイム最高顧問。頭の回転は速い。
『善処します』
 が、通信機の向こうから聞こえてきた男の声ほど説得力のないものはなかった。
 そのままぷつりと通信機が切れてしまう。ライトニングが切ったかホープが切ったのかは定かではなかったが、とにもかくにも盛り上がっていることは間違いないだろう。ホープが手を出してこないとすっかりいじけていた姉を思うと喜ばしいことだ。
 ……喜ばしいことのはずなのだけれども。
「あー……、切れちまったな」
 邪魔しちまったか。ようやく察したらしいスノウが苦笑している。そんな二メートル級の大男の胸板にどすんと飛び込んで、セラは頬をすり寄せた。
「嬉しいけど寂しい!」
「おお?」
 大好きで、大切な、この世でたった一人のお姉ちゃん。絶対に幸せになってもらいたいって分かっているのに。自分なんていっぱいいっぱい心配かけたことだって分かっているのに。
 それでも、今までセラが独り占めしていたライトニングがセラだけのものじゃなくなっていくのを見るのはさみしい。
「どうした、セラ?」
「……さみしいから、うんと甘やかして」
 少し驚いたような顔。だけど、次の瞬間にはくしゃくしゃっと青い瞳を細めて笑ったその手が頭の上に伸びてきて、セラはゆっくりと目を閉じた。
「しょうがねえなあ」
「うん、しょうがないの。甘えん坊の妹なの」
 押し付けられた広い胸板の音に、なんだか安心する。スノウの隣にいると、とても大きくて温かいものに包まれるような気がするのは、きっと彼の人柄が成せるものなのだろう。
 少しだけ。ほんの少しだけ、さみしいのが薄まった気がする。
(頑張ってね、お姉ちゃん)
 きっとこれから、たくさん喧嘩もあるだろう。泣いて、笑って、怒って、苦しむことだってあるだろう。それでも姉は、もう一人じゃない。一緒に歩いてくれる人がいる。
「ねえ、スノウ」
「どうした?」
「今度ホープ君とこ、乗り込もっか」
 きっとさぞかし賑やかになるはずだ。近い未来を想像して、セラはにっこりと破顔したのだった。
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