2020.09.30 公開

サイハテ島サバイバル生活(仮)

きっかけは、何気ないゼルダの一言だった。
「あの島には何があるんでしょう?」
「そう言えば行ったことないなあ」
 近隣の住人からは〝サイハテ島〟と呼ばれている無人島だった。小さいながら自然豊かな島だそうだ。同時に、不可解な噂話もあるらしい。
「なんでも島に近づこうとすると、酷い嵐に巻き込まれるらしいよ」
「まさか」
 リンクの言葉に、ゼルダが鈴を転がすようにころころと笑った。
「根拠がありません。非現実的ですよ」
 こんな快晴でも嵐になるだなんて俄かには思えません。迷信でしょう。
 研究者らしい言葉だ。ゼルダの言葉にリンクは空を見上げた。
 気持ちのいい快晴だ。抜けるような青空の下、どこまでも青い地平線が続いている。吹き抜ける潮風が心地よく、出かけるには絶好の天気と言えるだろう。
「だったらさ……行ってみない?」
「え?」
 遠くから眺めるのも悪くはない。だけど、実際に行ってみないと分からないことだってたくさんある。旅の中で学んだことの一つだ。
 リンクからの提案にゼルダは目を瞬かせた。海の上にぽっかりと浮かぶ島へと視線を移す。頭の上ではうみねこがみゃあみゃあと鳴き声を上げていた。
「あの島がどんなところか見てみたいし」
 にかっと笑う。そんなリンクを前に、ゼルダはふうむと唇に手を当ててみせた。
「確かにこれまであちこち歩きましたが、無人島は初めてですもんね……」
 頷いて、ゼルダは顔を上げた。
「そうですね。行ってみましょう」
 そうと決まったら海を渡る準備をしなくてはなりません。やはりいかだでしょうか。オールも必要になりますね。無人島に行くのですから、最低限の準備が必要です。独自の生態系があるかも。ああっ、どうしましょう。そうなったらウツシエの容量を確保しておかないといけませんね……!
 そのエメラルドグリーンの瞳はさっそく知的好奇心できらきらと輝いている。生来、ゼルダは学者肌なのだ。俄然やる気になったゼルダに釣られるように、リンクもまた腕まくりをした。
「そうと決まれば、さっそく用意しようか」
「はいっ!」
 そう口にしたのが昨日の話だ。
 翌日、いかだとコログの葉、それから多少の装備を整えて意気揚々と船出に漕ぎ着けた二人は、島を目前にして嵐に飲み込まれることになる。眩しいほどの晴天だったのが、まるで嘘のような激しい嵐であった。

   * * *

 打ち寄せては引いていく波の音が聞こえる。
 リンクは瞼を持ち上げた。……カニだ。リンクの目の前でツルギガニが横移動している。カニ料理うまいんだよなあ。今晩はカニの煮込みにしようか。そんなことを考えながら、ふと、どうして波打ち際で寝ているのだろうという疑問に気が付いた。記憶が正しければ、リンクとゼルダはいかだに乗って無人島を目指していたはずだ。
「ゼルダッ!」
 はっとしてリンクは飛び起きた。まもなく島に到着するという目前になって、酷い嵐に巻き込まれたのだ。大粒の雨に、うねる荒波。大自然の猛威に為す術もなくリンクとゼルダは飲み込まれてしまったのだ。
 波打ち際に見覚えのある金髪を見つけて、リンクは慌てて駆け寄った。ゼルダもリンクと同じように砂浜まで流れ着いたのだ。
「ん……」
 幸いにもゼルダは気を失っているだけのようだった。リンクは大きく胸をなでおろした。もしゼルダに大事などあろうものなら、リンクはとても正気ではいられないだろう。
「ここは……リンク?」
「俺達、嵐に巻き込まれたんです。ゼルダが無事で良かった……」
「嵐……。そうです。私達、島の近くでいきなり大波に攫われて……」
 咄嗟にリンクがゼルダを引っ張って泳ぎだしてくれなかったら、今頃海の藻屑になっていたに違いない。彼が傍にいてくれて本当に良かった。
 リンクに助けらながら身を起こしたゼルダは、そこで周囲を見渡した。白い砂浜。その先に広がる豊かな自然。嵐の後だというのがまるで嘘みたいに穏やかな島の姿がそこにはあった。
「荷物は流されてしまったみたい。念のため、浜辺を探しておこうか」
 砂浜を見渡すリンクの言葉に、ゼルダもまた頷く。せっかく無人島に行くのだからとあれこれ荷物を積んだものの、全部流されてしまったようだった。あの嵐だ。自分の身が無事だったことをむしろ感謝すべきだろう。
「噂は本当だったんですね……」
 しみじみと口にするゼルダを前に、リンクは眉を下げる。
「あそこまで酷いと思わなかったけど……」
「まあ、リンクは嵐が起こると思っていたんですか?」
「噂話は案外馬鹿にできないから」
 そのおかげでリンクはマスターソードを見つけられたようなものだったからだ。噂はもちろん噂でしかないが、時に真実を孕んでいることもままある。
「あっ、マスターソード」
 ふと、慣れた重みが背中にないことに気が付いて、リンクは頭をかいた。
「もしかして……」
「あー……うん。なくなっちゃったみたい」
 絶句しているゼルダとは対照的に、持ち主であるリンクの方が冷静だった。
「まあ、ガノンももう倒して役目は終わってることだし。それに……なんだかんだでしぶとい奴だから、その内ひょっこり出てくるでしょ」
「ひょっこりって……足が生えてる訳じゃないんですから」
 呆れるゼルダを前に「それはいいね」とリンクは明るく笑ってみせた。
「なくなっちゃったものは仕方ないよ。今はできることを考えよう」
 何せ無人島に身一つで流れ着いてしまったのだ。やるべきことは山ほどある。
 手始めにリンクとゼルダは砂浜に流れ着いている荷物がないかどうか確認することにした。使えるものがあるのならば、それに越したことはない。しかし、残念ながら砂浜の上にあったのは、木の枝や錆びた剣くらいで大したものは流れ着いていなかった。ひとまず武器代わりにそれらを拾う。
「シーカーストーンが残ったのは不幸中の幸いでしたが、それ以外は駄目そうですね……」
 一通り砂浜の上を探し回ったゼルダが落胆の声を上げる。くしゅん。それから、控えめで可愛らしいくしゃみも。
「あ~……服もびしょびしょだったね。乾かそうか」
 海水で湿った服がごわごわと張り付いていて宜しくない。気温は穏やかなので風邪をひきそうにないのは幸いだった。ひとまず、青い英傑の装束を脱ぐ。
「えっ、ちょっとリンク!?」
 目を白黒させるゼルダに、リンクは朗らかに笑ってみせた。
「見たところ、本当に人もいなさそうだし。風邪ひいても良くないしさ」
 目覚めてから風邪などひいたことがないことを棚に上げて、リンクはすぽんとズボンを引き抜いた。とうとうシーカーパンツ一丁になる。手早く脱いだ服を腕にかけると、リンクはさっさとその辺りの木の枝に引っ掛けて乾かし始めてしまった。
「流石に、その……はしたないですよ」
 リンクはのほほんとしているが、今はまだ日も高い。故に、その体つきがよく分かってしまう。リンクは着痩せするタイプで、青い装束の下にある胸板の逞しさにゼルダは赤面してしまった。もう何度も目にしているにも関わらず、だ。
「見惚れちゃった?」
「……もうっ」
「えっ、マジ」
 微かに頬を紅潮させるゼルダに、軽口を叩いたつもりだったリンクの目が丸くなる。なんだか急にこそばゆくなって、リンクは鼻の頭を掻いた。自分の容姿にはほとんど頓着していないのだが、ゼルダにそう言われると悪い気はしない。
 手早く乾いた流木と枯れ草を集めてくると、リンクは乾かしているズボンのポケットをまさぐった。
「お、あったあった」
「火打ち石ですか?」
「うん」
 よく使うからと忍ばせておいたものだ。流されていなくて良かった。
 砂浜で拾った錆びた剣を使って火を熾す。気候自体は温暖だが、それでなんとなくほっと一息ついた心地になった。
 くしゅん、と再びゼルダから可愛らしいくしゃみが零れ落ちる。やはり海水で体が冷え切っているらしい。
「ゼルダも服を脱いだ方がいいよ」
「ですが……」
 恥ずかしいと思う気持ちの方が大きいのだろう。ゼルダは濡れた服のままもじもじとしている。
「大丈夫、誰もいないよ」
 少なくとも歩きまわれる近辺に集落がないことは分かっている。元々無人島と言われている島なのだ。島自体も小さく、大陸から距離があることもあって人が暮らしていくには何かと不便なのだろう。近づけば嵐に巻き込まれる、といった不穏な噂だってある。
「う、う~ん……」
 ゼルダは葛藤しているようだった。今となってはすっかり明るく元気な普通の女の子に見えるものの、百年前はハイラル王国の姫君であったのだ。蝶よ花よと大切に育てられた彼女の倫理観ははっきりしていて、要はこんな明るい場所で脱ぐのが恥ずかしいというのだろう。
(やっぱそうだよなあ)
 恥ずかしいのならば、と率先して服を脱いだが、こればかりはすっかり野生児となってしまったリンクと相いれないだろう。とは言え、ゼルダが風邪をひくことはリンクにとって本意ではない。ゼルダだって望んではいない筈だ。
「恥ずかしいなら俺、あっち向いてるし」
「ああ、いえ。リンクに見られるのが恥ずかしい……のもありますが……」
 そこまで口にして、ゼルダの言葉尻がどんどん萎んでいく。
「体型が分かってしまうのが……」
 特にお腹周り……。とゼルダは恥ずかしそうに目を伏せる。そんな彼女を前にリンクはきょとんとしてしまった。
「え? 全然太ってないと思うけど」
「そう言って貰えるのは嬉しいんですけどね……」
 暗がりの中で見せるのと、さんさんと照らす太陽の下とではまた話が違う。自分の体型のことは自分が一番よく分かっているものなのだ。ゼルダは遠い目になった。大食漢でありながら一向に体型が変わらないリンクのことをどれほど羨ましく思ったことだろう。
 しかし、ぐずぐずしていてもしょうがない。気候は温暖で過ごしやすいと言っても、冷えというのは体にとって大敵だ。乙女の矜持と風邪という天秤は大きく揺らいだが、最終的に後者が勝った。永らく生きてきて、人生踏ん切りも大事というのは身に染みている。ゼルダは小さく息を吐くと「あんまり見ないでくださいね」と口にして濡れた衣服に手をかけたのだった。
 流石に下着だけというのは(リンクのシーカーパンツはこの際棚に上げる)はしたなく思えたので、海辺に流れ着いていた麻袋を割いて胸と腰に巻きつける。お腹が出てしまうが、やむなしだろう。昔と違って気苦労が減って、おまけにリンクが美味しい手料理を作ってくれるので、すっかり食事が日々の楽しみになってしまった。甘味はもう少し減らそうと、お腹に力を入れながらゼルダは己に誓ったのだった。
 濡れた衣服は、リンクに倣って木の枝に引っ掛けた。先ほどの嵐とは打って変わって、天気はすっかり快晴だ。風通しもいいから、そう時間のかからない内に乾いてくれることだろう。
「それにしても……」
 ぐるりと周囲に視線を向けて、ゼルダはしみじみと息を吐いた。
「本当に人の手が入っていない島なんですね」
 小さな孤島だ。陸と行き来をするだけで大変だし、おまけに海の天気は遮蔽物がないためか、あっという間に変化してしまう。その不便さもあって、いつしか無人の島と呼ばれるようになっていったのだろう。
 白い砂浜の上には漂流物がところどころに流れ着いていて、その隙間を縫うようにヤシの木が幹を伸ばしている。見上げるほどの高さにある深い緑色の葉の下には丸々と太った実がいくつもひしめき合っていた。あれでヤシの実ジュースを作ったらきっと甘くて美味しいだろう。思わずそんな想像が膨らんでしまう。
「あれはツルギカニですね……ああっ、あそこにいるのはもしかして!」
 手つかずになっている自然に島独自の生態系。元々研究者としての気質があるゼルダは目の前の光景にきらきらと目を輝かせた。濡れた服をどうするかで恥じらっていたことがまるで嘘みたいな変わり身の早さである。俄然生き生きとし始めたゼルダを前に、リンクもまた相好を崩したのだった。

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