01. 窓辺                                              2003,12,18


カタカタ、と。
吹き付ける風が窓に当たる音を耳にしたジューダスは、ふと顔を上げた。
どうやら自分は随分と長い時間、本を読んでいたらしい。
窓からのぞく暖かな光は本を読み始めた頃よりもずっと西に傾き、雲一つない冬空を美しいオレンジ色のグラデーションが飾っていた。
「もうこんな時間か」
手に持っていた本をぱたりと閉じる。
実は一度内容を全て読んだ本であったが、気になった箇所がいくつかあって読み直していたのだ。
思いの他時間がかかってしまったようだが。
そういえば、がこの本を次に貸してくれと言っていたな。
ふと、本を貸して欲しいと言った白色の髪の少女の姿が思い浮かんだ。リアラと一緒に買出しに出かけていたが、もう帰ってきているだろう。
そう思い出したジューダスは、本を握りなおすとゆっくりと立ち上がった。

旅では無駄な出費は出来る限りしないということもあり、今回の宿では大きめの部屋を二つしかとっていない。
それもカイル、ロニ、ジューダスの男部屋と、リアラ、ナナリー、ハロルド、の女部屋とで分かれていた。
はいるか」
男部屋のすぐ隣にある女部屋のドアを軽くノックしながらジューダスは尋ねる。
するとすぐになんとも気の抜けた返事と共に、あっさりと入室の許可は下りた。安っぽいステンレスのノブを回して木のドアを開けると、意外にもそこには一人しかいない。
そしてそこにいるはというと、ベットの上で片手にブラシを持ちつつ目の前にある鏡とにらめっこをしていた。
「……何をしているんだ?」
眉間にしわを寄せたまま、鏡とにらみ合いをし続ける彼女に声をかける。
「えっ…と、髪を梳いているはずなんだけど……」
何でだろうねとは呟くと、鏡からようやく目を離した。
そしておもむろに自分の髪を一房つまむと、目の前のジューダスにそれをつき出す。
「見事に絡まっているな」
そう。彼女の細く、艶やかな髪はそれはもう無残なほどに絡まってぐちゃぐちゃになっていた。
先ほどブラシを持って鏡を見つめていたのも、おそらく髪を梳こうとしていたからなのであろう。
しかし、彼女は恐ろしく不器用であった。
料理をすれば摩訶不思議なものを作り出し、裁縫をすれば自分の指を刺す。
リボンを上手に結ぶことすら出来ない彼女が、絡まった自分の髪を上手くほどく事が出来ないのは容易に想像できた。
「リアラと買い物をして帰る途中に、びゅーってすごい風が吹いちゃって……」
ああ、そういえば先ほどから窓に風が吹き付けていたな、と思い出す。
「ほら、私の髪って細くてやわっこいから。絡まっちゃった」
そう言って、はしょんぼりとした様子で自分の髪を見つめた。
「自分で直そうとしたら、余計絡まっちゃうし」
本当に彼女らしい。
それを聞いたジューダスは小さく苦笑したが、ふと、疑問を持つ。
「リアラに直すのを手伝ってもらわなかったのか?」
そのジューダスの言葉を聞いたは、視線をそらしてぼそりと呟いた。
「手伝ってもらってたんだけど、ロニがカイルがこけたって言ってたのを聞いたら、リアラ、飛んで行っちゃった……」
「………」
それでいいのかリアラの英雄とジューダスは内心思いつつ、話を続ける。
「なら、ナナリーやハロルドは」
「ナナリーは弓の調子が悪いから武器屋。ハロルドは、虫ちゃん採取だって」
「「………」」
痛いほどの沈黙。
そして、じっとこちらを見つめる視線。
「……なんだ」
答えは分かりきっているのだが、この場合はもう聞くしかなかった。
「お願い、手伝って」
……こんな風にお願いをされて、断れるわけがなかった。

「えへへへへ〜、ごめんね〜?」
全くすまなさそうな顔をしていないが、とりあえず形だけは謝っていた。
ジューダスは何で僕がこんなことを、とブツブツ言いつつも、しっかりとブラシを握っている。
なんだかんだ言いつつも結局は世話を焼いてくれる彼に甘えるのはあまり良くないとは思うのだが、こうしてつい甘えてしまう自分を見て、は小さく笑った。
「でも、ほんと助かっているんだよ。ありがとね、ジューダス」
それでも、今だけは。
ちょっとだけなら甘えてもいいよね。
そうやって今回もそう自分に言い訳をしたは、後ろに立つジューダスの動かす手に集中した。
「フン」
あ。ちょっとだけ照れてる。……あいかわらず可愛い奴め。
先ほどの返事とばかりに鼻を鳴らした彼を見て、は思わず頬が緩んだのを感じた。
それはジューダスのあの動作は、彼が照れた時にする動作と知っていたから。
……いや、まあ普段でもやってるんだけどね。やっぱり、こうしている時はちょっと雰囲気が違う。
なんだかそう考えていたら、こっちの方まで照れてしまって。
「でも、強風で髪がこんなんになっちゃうんなら、風が強い日は気をつけとかなきゃねー」
ちょっぴりの照れ隠し。
いつものような私の言葉で。
今は、髪を梳いてくれているジューダスが後に立ってくれていることに感謝した。
――――だって今の私の顔、きっと緩みまくっているから。
「あのな。風属性の晶術を戦闘時に連発している奴が言っても、説得力がないぞ」
……って、うわ。
「あー…。そ、そこは言わないお約束で」
くるりと、後ろを振り向いて笑って誤魔化す
戦闘時に自分が風属性の晶術を好んでぶっぱなしまくっているという事を、すっかり忘れていた。だってそれはそれ、これはこれでしょう。
「ヘタな誤魔化しは、追い討ちをかけるだけだぞ」
動かす手を止め、さらりと追撃を放つジューダス。
「うー」
ジューダスの言葉に妙な唸り声を上げただったが、ふと、ある事に気がついた。
……顔がえらく近くないですか?ジューダスの。
髪を梳いてくれた彼は自らの素顔を隠すため、仮面をかぶっている。
当然視野は狭まる上、見難くなるわけで。絡まった髪をほどこうと彼の顔は自然と近づく。
そこに自分が振り返ったのだから……
「〜〜〜ッ」
仮面からのぞく、アメジストの瞳と視線がかち合う。
意識してしまうともうどうしようもなくて。
顔がどんどん朱に染まっていくのが自分でも分かるけれど、それを止めることなんて出来ないから。
……勢いよく顔を前に戻した。
「そっ、そういやごめんねっ。直してくれている途中に振り向いたりなんかして……」
苦し紛れの言い訳をして。
こうやって、私はまた誤魔化す。
「耳が赤いぞ」
けれども必死で赤い顔を隠そうとしたの努力と裏腹に、後から妙に笑いを含んだジューダスの声が聞こえてきた。
バ…バレてる……!
真っ赤な顔のまま、硬直する
ジューダスは彼にしては珍しく小さく声を立てて笑うと、手に持っていたブラシを離す。
そしてその手での頬をつかんで、振り向かせた。
「なぜ、顔が赤いのだろうな?」
「……分かってるくせに」
これが、恋人に対する態度か。
ぼそりと、なんとか上目遣いに睨んでそう言い返したであったが、赤い顔のままではなんとも迫力がなかった。
「さて、分からないな」
そう言って、分からないふりをするジューダス。
とか言いつつ口の端をあげて笑っている奴が、分かっていないわけないでしょう……!!
完全に遊ばれている。
そうは分かっていても、がっちりと顔をつかまれているので逃げることすら出来ない。
どうしよう、このパターンはヤバい!と慌てたであったが、彼の次の言葉でまたもや硬直することになる。
「そういえば。僕はの髪を梳いてやっているのに、は何もしてくれないというのは不公平だな。」
そう言って、彼はまた笑って。
「さて、何をやってもらおう?」

カタカタ、と。
風がまた窓に吹き付ける音が鳴る。
それは、ある冬の風の強い日。
とある宿屋で起こった彼らの日常の一コマ。





02. 乾いた唇                                            2004,03,08


空を見上げれば、深い紺色のヴェールの中でぴかぴかと金色に輝く数多の星のボタン。
「あ、流れ星。」
その中の輝きが一つ、まるで降ってくるかのように一直線に流れていく。

今、達が泊まっているのは辺境にある村、リーネのリリスの家だった。
久方ぶりに訪れたリリスの家では、大歓迎してもらって。気が付いた時にはほとんど皆騒ぎ疲れて眠ってしまった。
なんとなく、窓の外を見上げてみる。
街の光なんて一つもない、山々に囲まれたこの小さな村の星空があんまりにも素晴らしかったから。
こうしては星に誘われるかのように家の外へ出て、昼間は太陽の光を反射してきらきらと光っていたけれど今はただ暗いばかりの蓮の葉が浮かぶ透明な池のほとりにちょこんと腰をかけていた。
「……綺麗」
今日は雲一つないいい天気だった。
そのためか夜空も本当に綺麗な色をしている。まんまるよりもちょっと欠けた月に、優しく輝き続ける星。
「お星様が、落っこちてきちゃいそう」
星の輝きもいつもとは大きく見える。
旅の合間野宿をした時に見る星空よりも、ここでの星空はずっとよく見えた。
それはやはり旅の合間の火の番という周りを警戒するほんの少し緊張した時間と、今のただのんびりとした時間を過ごすというその場その時の心の持ちようによって違うものなのか。
えいやっとばかりに、手を伸ばせば届いてしまいそうな星に向かって手を伸ばしてみる。
当たり前だけど届くわけなんかない。
でも、本当にあと少しで届くような気がして。
立ち上がって、今度は軽く跳んでみて。
「わきゃっ!?」
着地しようとした際、運悪くそこそこ大きい石を踏んづけてしまい、はそのまま背中向けに倒れこんだ。
「……へ?」
いや、訂正しよう。
倒れこんだが地面までには到達しなかった。なぜなら途中で彼女の体を支えた温かい腕があったから。
「エミリオ」
抱きとめられたその心地よい腕の主は、大切な人のもので。
エミリオだ。
この暗い中漆黒の服装は闇に溶け込み、全くと言っていいほど見えなかった。
一体いつからいたんだろう、ふとは彼の腕の中でのんびりとそう思う。
「常々馬鹿だとは思っていたが、本物だったか?」
ぼんやりとした様子のやはりマイペースなに、エミリオは呆れかえってしまった。
下手をしたら、こけた時頭を打ったのかもしれないのに。
……いや、そんなことこいつは思いつきもしないだろう。打ったら打ったその時痛がるような奴だ。
えへへ〜と、いつも緩みっぱなしの笑顔でしがみついたままのを見下ろしながら、彼からの口から出るのは、もはやため息しかない。
「でも、そうなったらエミリオが助けてくれるでしょ?今みたいに」
エミリオの考えがまるでにそのまま伝わったかのように、彼女はそう言った。
やはり、そう言うところは不思議だ。
いつも、ふわふわしてて。
何かいいものを見つけたら、何にでも興味を示す子犬のようにふらりとどこかへ行ってしまって。
危なっかしくて。マイペースで。そして、甘えん坊。
それが彼女。
くすくすと、はそのままエミリオの胸にしがみついたまま笑う。
「こうしてたらあったかいね。私が外行くの心配して、出てきてくれたんでしょ?ね、せっかくだから一緒に星を見よう」
そうやって一緒に過ごす、大切なひと時。
「ああ」
優しい声音で頷いてくれた彼に伸び上がってキスをする。
暫くずっと外でいたから、唇はすっかり乾いてしまっていたけれど。

さぁ、一緒に星を見よう。





03. 壊れ続ける                                          2004,03,15


――――…どうしてこうなってしまったのか。
ただ、小さい頃助けてくれた少年にお礼を言いたかっただけなのに。

――――…どうしてこうなってしまったのか。
ただ、初恋の人を助けたかっただけなのに。

――――…どうしてこうなってしまったのか。
今も、好きでどうしようもないくらい好きでしょうがないのに。

結局は全て私の我が儘だ。
私のしたことは、きっと許されることではないだろう。
だけど――――…私は後悔しない。
この選択肢を選んだことを。

遠くから足音が聞こえてきた。
すぅっと深く深呼吸をする。
もう、戻れはしないだろう。それが私とあの男の契約。
その契約一つで、私は壊れ続ける。

足音が、だんだん近づいてくる。
そうやって私はあの人と同じように笑って。
ねぇ、あなたもこんな気分だった?
こんな寂しくて辛くて悲しい気持ちを持ったまま、あなたもこんな風に立ってたの?

もう、この部屋の前まで来た。
バタンッと大きな音を響かせながら、扉が開く。

「はじめまして、ソーディアン・マスター」

血のように赤い紅月を握り締めて、レンズにエネルギーを溜めて。
嫌なぐらい静かな口調で話し始めた私は、そこで悲しく笑った。
琥珀色の、強い色の瞳が揺れる。
視界がにじむ。
でも、私はしなければならない。
これは契約なのだから。

――――…私は全てを裏切る。





04. 言葉より先に                                         2004,04,07


『………まさか…………?……』
って………ちょっと!?あんたなの!!?』
『わたくしたちを殺すって………さんっ……!』
……お前もなのかッ!!?』
『………それが、君の出した答えなのか?』

「もう一度言います。はじめまして、ソーディアン・マスターとそのお仲間方」

風にはためく、銀糸のような艶やかさと輝きの髪を持っていた美しき風使いはそう言った。
悲しみに溺れることよりも、嘆きに足を囚われることよりも。
ただ、ただ、ひたすらに行動をおこして、目の前のものを掴み取ろうとした。
慰めや気休めなんかの言葉よりも、自分の想いを選んだ。
言葉より先に―――――…



「どんな言葉よりも大切なのは、きっと想いだよ」
どこか遠くを見つめるような瞳で、はそう言う。
目の前の愛しい人へ。
「だって、想いがあるからこそ言葉は出てくるものだし、想いが込められていない言葉なんてからっぽの抜け殻みたいなものじゃない?」
そうやって、くすりと笑う。
小首をかしげてそう笑うと、白い髪が肩の上をサラサラと流れて少しくすぐったそうだった。
そのまま至極優雅な仕草で肩に乗った髪を払いながら、彼女は続ける。
「貴方はそう思わない?エミリオ」
それに続いた相手の言葉は、案外あっさりしたもので。
「……確かにそれに関しては僕もそう思うが、お前のその説明臭い話し方、直したらどうなんだ」
「学者の性でそれだけは無理でーす」
そう言っては、またくすくすとは笑った。
そのまま、腰掛けていたベッドから軽い音を立てて立ち上がると、今度は座って本を読んでいたジューダスに背後から抱きつく。
「えへへー」
ムードなんて欠片もない。
ただ、幼い子供が母親に抱きしめてもらって安心する様な仕草で両腕を絡ませてくる彼女にため息をついた。
どこまでお前は無防備なんだ、と。
「――――
本はもう読めないな、と判断するとジューダスは手元のそれを片付ける。
この状態に入ったを本片手に話す訳にはいかないのだから。
「それで、今日はどんな夢を見たんだ?」
それは現実だったのだから、悪い夢とは言うことが出来ない。
裏切って、また裏切って、誰かを傷つけて、自分もズタズタになって。
たった一つの選択肢に振り回されすぎた私。
後悔はしていないけれど、時にそれは重くのしかかり過ぎて。
「秘密だけど……今はこうしていたい」
「……やれやれ」
そう言った彼の声が、昔と変わらずさりげなく優しいから安心するの。

そうやって、誰もいない宿屋の一部屋で私達はゆっくりとした時間を過ごす。
最期の時に向かいながらも。
ゆっくり。





05. 日差しと紅茶と君と                                      2004,06,13


うだる暑さの日差しの中。
こぢんまりとした机を庭に出して。
青い空色のテーブルクロスをかけて。
あまぁいお菓子を用意して。

冷たくて、おいしいお茶を飲みましょう。



金属と金属の激しくぶつかり合う音が響く。
それは、この巨大で豪勢な屋敷の庭から響くもの。
あまりにもその豪奢な建築物には不似合いすぎるその音は、武器と武器とが衝突し、奏でる金属音。
道行く人はその様子に驚いたようだったり。屋敷のメイドはそれを微笑ましそうに見つめたり。
第三者の反応は様々なものであったが、この音の発信源である二人は至って真剣。
いつもと同じように、方や剣、方やグローブとブーメランを手に握り、互いに手合わせをしているのだった。
「……うう、負けましたぁ」
長時間続いた金属音は、ある一時を迎えてからは一切しなくなった。
それが意味するところは、この長い手合わせに決着がついたということだった。
つ、と喉元にシャルティエの煌めく刃先が添えられて。
数秒間の沈黙の後には情けない声を上げて、『降参です』と言わんばかりに両手をだらりと上げた。
その様子を認めたリオンは空中で暫く止めていたシャルティエをの喉元から離し、剣を鞘に戻す。
随分慣れた様なその手つきに、この手合わせの敗者となったは少し不貞腐れたような様子で口を開いた。
「うーん……これで24戦中、16敗、8引き分け0勝かー。これでも一応毎日鍛錬してるのにな」
「だが、負けているというのは訓練が足りんのだろ」
それがリオンの言葉で一蹴。
それなりの腕前を持つであったが、所詮それは旅をする間に襲い掛かるモンスターを追い払うために身につけたものであって、人間相手に使う予定のものでない。(野党退治の際にはばっちり振るっていたけど)
常に前線で客員剣士として国に仕え、時には人間に、時にはモンスター相手に戦っているリオンとでは、そもそもとの戦闘のスタイルが違っているのだからそれは致し方ないことでもあるのだが。
実際に、の戦闘に関するセンスと腕前にはリオンでも目を見張るものがある。
遠距離様にブーメラン、近距離用にグローブ。
二つの武器をなかなかうまく考えて使っているのは分かるのだが、どちらの技量もまだまだ発展途上。
しかし、鍛錬を重ねれば確実に今よりも強くなることは明らかだ。
「あ〜、でもくーやーしーいー」
あまり自分も気を抜いてはいられないと内心思うリオンに対し、は相変わらず不貞腐れたように頬を膨らまし、ぶーたれている。
随分整った顔立ちをしている彼女であったが、そのような表情ではせっかくの見目も台無しであった。
「リオン、。お茶の準備が出来たんだけど、どう?」
そこに、先ほどから庭で二人の様子を見ていたメイド長――――ことマリアンが声をかけてきた。
二人がその声に反応をして彼女に視線を走らせてみれば、にっこり笑うマリアンの側にはいつのまに出してきたのか小さな木のテーブルと二つのイス。それにはご丁寧に空色のテーブルクロスがかけられており、さらにその上にはガラスのコップの中に上品に納まっている少し濃い茶色の紅茶と焼き菓子が置いてあった。

午後の紅茶はもはやいつもの出来事となってしまっているのだが、目の前の少女と飲む紅茶の時間はやけに落ち着かない。
それは恋愛感情と言うものとは恐ろしくかけ離れたもの……ただ単に騒がしいだけ、と言うものであったがリオンはそれなりにこの時間が気に入っていた。
マリアンがいて、シャルティエがいて、とりあえずもいて。
訓練の後の小さな癒し、とでも言えばいいのだろうか。
どうでもいい会話。ヒューゴの事や仕事の事とは全く関係ないこと。そんな事を話すだけなのだが(しかも話すのはもっぱらとシャルティエ)なぜだかそんな時間は嫌いではなかった。
それは数ヶ月前のリオンであれば考えもられない事だった。まるで嵐のように突然この屋敷にやって来たに少なくとも原因はあるのだろう。
屈託のない笑顔を振りまきながら、ずかずかと強引に人の心に侵入していって。
そして散々踏み荒らして行ってしまったのだ。真っ黒な暗い部分を。
そうして、新しく植えつけたものは何故かとても暖かくなるもの。
それが本人の自覚しないところで、リオンを変えた。
少しずつ、少しずつ。
「うわっ、さすがマリアンさん。今日もおいしそうなの淹れてくれてるー!」
丁度リオンが思案している所に、驚きの混じった歓喜の声が響いた。
この場で、そんな声を上げるのは彼女だけである。……他に類を見ないほど紅茶好きな。
テーブルの上に用意された二人分の紅茶。
日に当たってきらきらと輝くガラスの容器の中に、並々と濃い茶の色をした紅茶が注がれており、紅茶の表面には小さなミントの葉が添えられている。
浮かんでいる氷を見ればなんとも涼しそうだし、ガラスの容器にじわりとにじみ出ている水滴が滴るたびに、早く飲んで喉を潤したいと思わされた。
戦闘の訓練の後は喉が渇く。それをマリアンはきちんと分かっていてくれて、こうやって様子を見て彼女の好きな紅茶を入れてくれるのだ。
大好きな飲み物を目の前に出されたは、瞳を輝かせながらいそいそと用意されたイスに腰掛ける。
早くリオンも座りなよ、と彼を急かしながら。
「もう少し落ち着いたらどうだ」
そう言いながらも、彼自身喉はすっかり渇いてしまっていたので早々とイスに座る。
もちろん、に対する文句も忘れずに。
「無理ですよーだ。大好物を目の前に出されてるのに、リオンがこないせいで飲めないのよ。これを急かさずにいかがするッ!」
そうふんぞり返って口にする。
彼女の中では、リオンを置いてさっさと飲むという選択肢はないようだ。そんな様子に小さくリオンは笑って目の前の紅茶に手を伸ばす。
そしても同じように紅茶を手に取り、容器に口をつけた。
「ぷはぁっ、ふー、おいしーい!」
そうして、一気に飲み干す。
よほど喉が渇いていたのだろうか、ほんの数秒のうちにガラスいっぱいに入った紅茶をは飲み干してしまった。
その飲みっぷりはなかなか勢いはいいものなのだが、いささか品位に欠けているとしか言いようがない。
『……ちゃん、その飲み方オヤジみたい…』
そりゃあもう、ぐびぐびと片手を腰につけて一気に飲み干すものだから。
正式なお茶会だったら絶対に文句を言われそうなその飲みっぷりに、シャルティエが口を挟んだ。
「でも、ここにはリオンとマリアンさんとシャルちゃんしかいないし。堅っ苦しい飲み方しなくてもいいでしょ?喉かわいてるし」
対するはけろりとしたものである。
彼女に慎みと言うものがないのだろうか?
そんなの様子に、マリアンが少し眉根を寄せた。
「でも、もう少しは飲み方に気を付けた方がいいわよ?」
「……うっ」
シャルティエに言われた時はさらりと流していたであったが、何故か彼女はマリアンには弱かった。
そのため、は諭すマリアンの言葉にしゅんと項垂れてしまう。
『……僕の時とは全然態度が違う』
ごめんねー、シャルちゃん。
でも、やっぱり私はマリアンさんには敵わないのよぉ。
寂しげな口調のシャルティエを放置したまま、リオンは紅茶を再度口に含む。
もちろん彼はのように一気飲みはしない。
あくまで上品に紅茶を飲んでいた。
「いい、分かった??」
「う〜…分かりました」
こんな風に、午後のお茶会は騒がしく過ぎてゆく。
諭すマリアンに、弱り果てる。いじけるシャルティエに、我関せずなリオン。
騒がしいのは嫌いだったリオンだが、何故かこのひと時は優しく感じる。
それは誰のためか、何故なのか。

たった一人の人間が、この屋敷に新たに住み着いた事によってこんなにも違って感じるひと時。
それがどうしてだか嬉しくて。
リオンは形のいい唇を少し上げて、小さく笑う。



うだる暑さの日差しの中。
こぢんまりとした机を庭に出して。
青い空色のテーブルクロスをかけて。
あまぁいお菓子を用意して。

冷たくて、おいしいお茶を飲みましょう。



「うー、喋ってたらまた喉が渇いちゃった」
その後、今度は本格的にいじけ始めたシャルティエのご機嫌を直すため話し込んでいたがぽつりとそう漏らした。
あら、と、その言葉を聞きつけたマリアンが新しい紅茶を注ぐために厨房へと庭から出て行く。
「でも私、今すぐ飲みたいんだよね〜」
そう言って、にやりとは笑って。
「とりゃ!」
「おいっ!?」
リオンが手にしていた紅茶を奪い取り、こくこくとそれに口をつけて飲み始めた。
とても幸せそうにはそれを飲み干すと、今度はにっこりとリオンに笑いかける。
「他人が飲んでいるのを見ると、同じものでもついついおいしそうに見えちゃうのよね」
イスに立てかけて置いていたシャルティエが思わず『わぁ、ちゃんほんと何も考えてない』なんてぼやく姿を視界の端でちらりと納めながら、リオンはみるみるうちにその頬を染める。
そうして。
「…こんのっ……馬鹿者がッ!」
真っ赤な顔でを怒鳴りつけるのだ。





2010/11/8 加筆修正