「……何をやっているんだ」
宿の一室では、慌ただしそうにカイルとリアラが動き回っている。リアラはともかくカイルがせわしないのはいつものことだったが、どうやらいつもと少し様子が違うらしい。なにやらそわそわとした空気が一室の中に漂うのを見逃す事が出来るわけもなく、僕は二人に声をかけた。
その瞬間、ぴたりと動きを止めた二人は信じられないものを見るかのように僕を見た。
「ジューダス、本気で言ってるの!?」
「てっきり知ってるものだとばかり……」
「だから何だと言ってるんだ」
「……ジューダス、今日の日付を見て」
「7月23日だが、それが何か……?」
「何かじゃないわ!」
だんっ、と力強くリアラが床を踏み鳴らす。
安っぽい作りの宿は彼女の想像以上の騒音をもたらしたようだったが、この際どうでもいい。問題なのは、こいつらが7月23日の何を知っていて、僕は何を知らないのかということだ。……特に心当たりはないはずなのだが。
「本当にジューダス、分からないの?」
リアラが失望したかのような眼差しで僕を見ている。
……だから、なんでおまえにそんな目でみられなくてはならないんだ。
正直なところげんなりしたが、ここで引いてしまってはますます面倒くさいことになるであろうことは目に見えているので、とりあえず答えを促す。
たっぷり3秒くらいにも及ぶ巨大な溜息をこれ見よがしに吐いたリアラは、ああやって呆れたように言葉を告げた。
「7月23日っての誕生日でしょう?ジューダスが忘れちゃうだなんてあんまりだわ」
………………?
「ああ、そういえばそうだったな。それがどうした」
返ってきた返事があんまりにも今さらすぎることだったので、思わず拍子抜けして返事を返したら、今度こそリアラは絶句した。
「そうだったなですって?信じられないっ!!?」
「だからの誕生日がどうしたかって……」
「その切り返しが信じられないっていうのよ!普通彼氏彼女の関係だったら彼女の誕生日くらいお祝いしなくちゃ駄目よっ!!」
そうしてじとりと半目でこちらを見つめるリアラの眼差しにはいつも以上の凄味があった。
「………もしかしてプレゼントの一つも準備してないんじゃ」
「……………」
「行ってきて、ジューダス」
カイルはもはや口を挟む余地もない。
「行ってきなさい」
「…………行ってくる」
結局、癪だとか思うよりも先に、リアラの謎の威圧感にやられた。
サプライズパーティーはこっちで準備しておくから、頑張れジューダス。そう手を振ったカイルだけが、この場における唯一の清涼剤だ。まあ、あの様子だと将来は確実にリアラの尻に敷かれるだろうが。
………それにしても、プレゼント、か。
何だって女は記念日やらプレゼントやらに拘るのだろう。こっちは訳が分からないし、あっちはあっちで気分を損ねるとやかましい。まったくもって面倒極まりない。
大体は物に拘るタイプじゃないんだ。今さら僕が何かやったって別に…………いや、あいつは喜ぶか。そう言えば懐中時計をくれてやった時も犬っころ見たいに喜んでいたしな。
懐中時計を手にした時の、輝かんばかりのの笑顔を思いだす。
………そういえば、あれ以来彼女に何か贈ったという経験がない。というよりも懐中時計の件も、の大切にしていたバレッタを僕が壊してしまって、マリアンに代わりになるものを買って来いと言われて渋々出て行った………気がする。
よく考えるまでもなく、自発的に僕から彼女に贈りものをした経験がないことにたどり着く。
対してはどうだ。
昔からあいつは贈り物を喜んで『する』側だった気がする。
道に迷ったかと思ったら、手土産にプリンを買って帰ってきていた。……今振り返ってみれば、あの旅の中でも、僕が船酔いしていた時にさりげなく薬を渡していてくれたこともあった。
物だけじゃない、嬉しいことがあったら嬉しいと言うし、厳しい言葉すらまるごと受け止めて『ありがとう』と感謝してしまえる奴だ。
あげてばかりのに対して、僕は一体何を返せてやれているんだろう。
ふと、唐突に思い至る。
確かにに物を贈れば喜んでもらうことはできるだろう。けれど僕が彼女に貰っているものは、そういうものじゃない。価値で計れるものじゃない。
そういうことを分かったつもりで今まで彼女に接していたけれど、改めて振り返ってみると、僕は貰ってばかりでに返すという事を怠っていたのかもしれない。
「………案外、リアラには感謝すべきなのかもしれないな」
多分、これは僕一人にはなかった発想だ。
そういう意味ではリアラの言葉は一つの気付きだった。
ましてや今日はの誕生日。とりわけ特別なことをするつもりはなかったけれども、何かをするには実行しやすい日であることには間違いない。多少らしくないことをしても、特別な日という一言で片づけてしまう事が出来る。
「強いて問題を挙げるとすれば……」
ぼんやりと口に出して、今はもうその言葉に相槌を打ってくれる存在がいないということに気がつく。
今まで当たり前に喋ってきていたから、気がつかなかった。こんな時にぽっかりと空いてしまう言葉の切れ目にシャルの存在の大きさを改めて思い知る。
とは言ってもこの場面、シャルなら『坊ちゃんは女性に贈り物をしたことなんてほとんどないですからねえ』とか言うところだろう。失敬な。僕だって贈りものくらいしたことはある。
「……しまった」
唐突にその事実に行き当たって、思わずうめき声が漏れた。
その贈り物の相手こそマリアンだった。マリアンにやってに何もやっていないというのでは、に恨まれかねない。
そうして最初の悩み――――…つまり振り出しに戻ってしまうことになるわけである。
に何を贈ればいいのだろう……」
贈りものとは、かくも難しいものであったのか。
宿から追い出された揚句に、探す前から途方に暮れることになるとは。……改めて考えるまでもなく、間抜けすぎる自分自身の姿に思わず失笑してしまう。
まさか僕が、女性に対する贈りものでこんなにも悩むことになるとは。
その相手が、ほんのついこの間までは贈ることになるとは露ほどにも思っていなかったなのだから、人間変われば変わるものだと思う。
かつてはどうとも思っていなかったはずの彼女の存在は、今は掛け替えのないただ一人の人だ。
だからこそ何を贈っていいのか分からない。いつも与えられているものに見合う何かを贈れるのか分からない。
「………まあ、悩んでいても仕方がないか」
すでに7月23日という日付を迎えている今、準備にさほど時間をかけることができないのは仕方のないことだ。ならば今できる範囲で彼女の贈りものを考えるのが筋というものだろう。
………雑貨屋でも見に行くか。
我ながら無難すぎるチョイスだと思ったが、それ以外に妥当なところも見つかるわけもなく、適度に洒落た店を見つけて足を運ぶことにした。



              * * *



不思議なもので、に似合うものをと考えれば考えるほどに、僕の中の彼女のイメージと一致するものを見つけることが難しくなってしまう。
色はイメージに近いが、大きすぎる。
のふわっとした雰囲気に、少し合わない。
可愛らしすぎる。装飾が多い。もうちょっと素朴なものを。きつい。形が気に入らない。色の感じが違う。
町で目に付く雑貨屋を一通り見て回ったはずなのに、これぞというものを見つける事が出来なくて、途方に暮れた。
改めて考えると、あの懐中時計は本当ににぴったりだったのだろう。
自身も一目惚れをしたようで、与えてやった時なんてしきりに喜んでいたのを覚えている。
ああいうものを探してやりたいのに、探したい時に限って見つける事が出来ないのはどうしたことか。
そもそも今回は時間がほとんどない。の誕生日に間に合わせようと急きょプレゼント探しをすることになったのがいけないのだ。事前に彼女に贈り物をすることさえ思いついていれば、もっと町を歩く時に意識しながら歩けたものを。
……過ぎ去った時間を悔やんでみても、今更どうしようもない。誕生日にプレゼントを贈る。どうやら当たり前らしいこの風習を、僕が当たり前のものとして捉えていなかったのがいけなかったのだろう。そもそも誕生日が祝われるものだという事すら、忘れかけていた。――――マリアンは、年が変わるたびにケーキを焼いてくれていたのにな。改めて、自分が頓着していなかったことを思い知る。
まだ客員剣士をしていた頃、任務をようやく終えて帰ってきたらマリアンがケーキを焼いて待っていてくれたことがあった。帰ってきた時に迎えてくれる誰かがいることが、どれほど嬉しかったことか。
年を重ねて、その輪の中にいつの間にかが加わっていた。神の目に関わる任務に携わる前の一年間。……今考えてみると、あれほど賑やかで、騒がしくて、それでも心穏やかに過ごせた時間はなかったように思う。そういう時間を、確かにやマリアンは僕に与えてくれていたのに。
………………今はそういう感傷にふける時じゃないだろう。
問題はちっとも解決してやいない。に似合う、彼女の為のプレゼントを。僕に与えてくれたたくさんの時間に見合う何かを贈ってやりたい。
そのためには何をすればいいのか。
どうしたらいいのか。
あの懐中時計のような……に喜んでもらえるようなものを贈るために、自分はどんな行動を起こせばいいのか。
「………………!」
唐突に、一つの考えが頭の中に閃いた。
――――そうだ。
あったじゃないか。僕が彼女に贈ることのできる、プレゼント。
確か、あれはあそこにあったはずだ。今からでも遅くないかもしれない。ともかく、やるだけのことはやってみよう。



















「ハッピーバースデー・!」
ぱあん、と弾けるような音がしたと思った次の瞬間には、頭の上には小さく刻まれた色紙が降ってきた。思わず目をぱちくりさせると、目の前には彩りも鮮やかな料理と、仲間たちの笑顔が並んでいる。
「………え?あれ?」
ハッピーバーズデー・
先ほど贈られた言葉と一言一句違わぬ垂れ幕が壁にかかっているのを見て、ようやく私は今日が7月23日で――――ついでに自分の誕生日であることを認識する。
「おめでとう!」
リアラとカイルが満面の笑みで拍手を送る。
そうか、私、また一つ年を取ったのか。
祝われることなんてほとんどなかったからすっかり忘れていた。今日が自分の誕生日で……誕生日って人から祝われるものだったという事を。
本来であれば年を重ねることすらできるはずのない身分なのに、今の私にはこんなにも素敵な仲間たちがいて、私の誕生した日を祝ってくれている。それがどれほど幸福なことか。
おそらくナナリーの手作りだろう。いつもより豪華な品数と種類の料理は温かな湯気を出していたし、部屋に飾りつけられた垂れ幕や小さな花から、みんなの心遣いを窺い知れる。
うれしい。
素直にそう思う事が出来る。
小さなころから旅ばかりしていたから、誰かに自分が生まれた日を祝福してもらえることなんてほとんどなかった。
記憶に新しいのは一年前――――…ちょうど、マリアンさんが主体になってケーキを焼いてくれたことぐらいだったかな。彼女はこういう節目をとても大切にする女性だった。
そういうところも、多分私は眩しく感じていたんだろう。誰かが生まれた日を素直に祝福できる。それってとても素敵なことだと思うから。
……ちょっぴりだけ感傷に浸っちゃった。今はそんなことしてる場合じゃないよね。みんなが私の生まれた日を祝おうとしてくれる。こんな私でもまた年を重ねることができて、それを喜んでくれようとしている人たたちがいる。だったらそれを思う存分喜ばなきゃ、逆にみんなに失礼だ。
「嬉しい!ありがとう、みんなっ!」
「へへ、よかった!」
「料理はナナリーとロニが作ってくれたのよ」
「へえ、ナナリーとロニなんだ!あっ、どうりでいつものナナリーのレパートリーにない料理もあると思った」
「料理もできるイイ男だからな、俺はっ!」
「ハイハイ、分かったから」
「もちろんナナリーも料理のできるイイ女よ?」
「ありがと、。結構自信作なんだ」
「わあ、楽しみ!」
「オレとリアラは部屋の飾り付けをしたんだよ!」
「ありがとう、カイル、リアラ。とっても素敵よ」
「うふふ、頑張ったものね、カイル!」
「ああ!あそことかこことか、結構頑張ったんだよ!」
「うん、すごく丁寧に作ってくれてる。一生懸命やってくれたんだね」
「へへへ〜」
この部屋、料理、時間。色んなところに仲間たちの心遣いを感じられて、それがすごくくすぐったい。
誰かに祝ってもらえることって、こんなにも嬉しいことだったんだね。
胸の内が温かなもので満たされていくような感じがして、なんだかいてもたってもいられなくなった。だからすぐ傍にいたリアラのてのひらをぎゅーっと握る。
ビックリしたようなリアラの表情も、次第に微笑みに代わって、彼女もいっしょに手を握り返してくれた。
ぎゅーっと伝わったらいい。私がとっても嬉しいって思ってること。こんなにも素敵な仲間たちに恵まれて、幸せだってこと。
エミリオはどう思ってるのかな。
ふと彼の存在を思いだして、そうしてエミリオとハロルドがこの場にいないことに気がつく。
「あれ、エミリオとハロルドは?」
「……あ〜…」
「?」
途端、困ったように視線を泳がせたカイルに思わず瞼を瞬かせてしまう。
なにか、あったのかな?……でも、あの二人が揃って?
「二人はちょっと用事で席を外しているの。本当だったら一緒にお祝いするつもりだったんだけど……先にやっててほしいって」
「まあ、メインはだからさ!」
「……そ、そっか」
せっかくのお祝い事なのにエミリオがいないことが、ちくんと胸を刺す。
急な用事が入ったのかもしれないし、あの切れ者の二人のことだ。今後のことで何か打ち合わせみたいなものもあるのかもしれない。
……でも、せっかくだからみんなで一緒に祝いたかったな……。贅沢なことだと分かっているけれど、そんな風に思ってしまう。
駄目、駄目。祝って貰えるだけでも、ありがたいことなんだから。
「あ、お待たせ」
バタン、と扉の開かれる音がして振り返れば、上機嫌なハロルドがそこに立っている。
「ご馳走には間に合ったみたいね〜♪」
「ハロルド!ジューダスは?」
「ジューダスはまだかかるみたい。とりあえず先に始めてくれって聞いてるわ。ってことで遠慮なくいきましょー」
「音頭をハロルドがとってどうするんだい!」
「まあまあ、ナナリー。別に大丈夫だよ。エミリオがそう言ってるなら、何か事情があるんだよ。せっかくみんなあったかい料理を用意して待っていてくれたんだから、冷めないうちに頂こう。エミリオの分もちゃんととっておけば大丈夫」
「……………」
「あーもう遅刻野郎になんてもったいないくらいいい子ねあんたは!」
ぎゅーとハロルドに抱きしめられて、苦しい。
「でもエミリオを悪く言っちゃ駄目だよ」
「……あんたってホントジューダスのことになるとお馬鹿になるわね」
「いいもん。仕方ないもん」
「一応自覚はあるのね。ほら、拗ねない拗ねない」
思わずむくれると、ハロルドが私のほっぺをつねった。痛くないけど、とても微妙な気持ちだ。……お子様みたいじゃない。ぶう。
「さっ、の誕生日を祝って」
ちゃっかりグラスを手にしたハロルドが、もう片方の手でオレンジジュースの入ったグラスを私に手渡す。
気がついた時にはもうみんな、それぞれにグラスを手にしていた。
「んじゃ、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
グラスが軽やかな音を立てる。
ささやかながらも、みんなの笑顔と心のこもったパーティは、本当に楽しくて。
……良かったなあと思う。
今まで大変なこと、しんどいこともたくさんあったけど。それを乗り越えた先で、こんな時間と出会えたのだから、やっぱり私は幸せ者だと思った。
ささやかで構わない。ありふれてたっていい。誰かが私の生まれた日のことを祝ってくれる。それってどんなにありがたいことなんだろう。
………エミリオだけここにいないことが、少し……ほんの少しだけ寂しいけれど。それは仕方がないことだよね?
エミリオはエミリオの事情があるんだもの。私の勝手に振り回すものじゃない。
………でも、本音を言うと…………やっぱり傍にいて欲しかったなあなんて思っちゃう。
あー、もうっ、私贅沢過ぎだ。こんな風に素敵に祝って貰えたのに、まだ要求するか!
それでも、胸の内にしこりのようにわだかまっているモヤモヤは消えてくれなくて、なんでもいいからはやくエミリオに会いたいと思った。
祝って貰わなくてもいい。特別なこともいらない。
だから、エミリオに会いたい。一緒にいて、些細なことで笑い合いたい。そういう時間が、私にとってなにより大切なものだから。
「………っ…待たせた…!」
バタン、と少し大袈裟な音で開かれた扉の向こうには、待ち望んだ彼の姿があった。
全身黒ずくめで、マントまで真っ黒。風変わりな格好なのに、やけに似合っているのがちょっぴりおかしい。
――――エミリオ。
息を切らせながら、それでもこのパーティに間に合わせてくれた彼の姿に、我ながら現金なもので笑顔が零れた。
「……?……」
カツカツカツ、と靴音も高らかにエミリオが一直線に私のところまでやってくる。
思わずそれに首を傾げたら、手のひらを握りしめられた。そのまま、引き寄せられる力に従ってひっぱり起こされてしまう。
「借りていくぞ」
「ハイハイ。まーそんなことだとは思ってたわよ」
ハロルドが半眼になりながらエミリオを見る。
「手伝ったんだからしっかりやりなさいよ」
「当然だ」
エミリオに引っ張り出されたものの場所の目的はなかったらしく、皆の声が聞こえない少し離れた廊下で彼は足をとめた。
「………エミリオ?」
「ほら」
「?」
付きだされたのは、小ぶりな箱だった。
良く分からないまま受け取ってみると、思ったよりは重量感がある。なんだろうと首を傾げてみると、少しだけ照れくさそうにエミリオは言った。
「ハッピー・バースデー、
プレゼントだ。
そう告げられた言葉に思わず瞬きをして、それからようやく意味を正しく認識する。
「……ぷれ、ぜんと………?」
「そうだ」
「………私に?」
「そこまで驚くことか?」
「………っ!ううん、嬉しい。……貰えるものだって思ってなかったからびっくりしたの。本当に嬉しいよ!ありがとう、エミリオ」
「………僕から貰えると思ってなかったのか」
「えっ、あ!?そ、そういう意味じゃないの!あのね、エミリオにはもう色んなものを貰ってるから、別に物を貰うことを強要する気なんて全然なかったの。というか祝って貰えるだけでも十分だし!……ってこういう言い方も失礼になるのかな。……ごめん、エミリオ」
「いい。分かってたことだ。……僕も人のことを言えないしな」
「ん?そうなの?」
「こっちの話だ」
「とにかく!私はうれしーです!……さっそく開けていいかな?」
「ああ。………まあ、それはすでににくれてやったものだが」
「?」
黄色いリボンでラッピングされた箱をほどいてしまうのは少しだけもったいなかったけれど、せっかくエミリオがくれたものだもの。今すぐに見てみたいよね?
何をくれるかな?
どんなものなのかな?
そんな期待ももちろんあるけれど、それ以上にエミリオが私に何か贈ろうと思ってくれた気持ちが一番嬉しい。だから――――どんなものを貰っても、それが真心のこもったものならば大切にしたいと思った。
「…………え?」
封を開けた時、そこにあったものを見て、私は用意していた言葉を取り出すことが出来なかった。
「………これ………?」
震える手のひらで持ち上げる。
これは――――だってこれは、あの時、もう………壊れてしまったはずで………?
「…………かいちゅう、どけい……」
壊れたまま、革袋に入れて取っておいた懐中時計。
私の命を救ってくれたエミリオからの贈り物を捨てることなんて出来なくて、そのままにしてあったそれは今、確かに時を刻んでいた。
丸いフォルムを描いた銀のケースはどこも凹んでいなかったし、文字盤には濃紺のドットと銀色の装飾紋様。ケースの裏の小鹿の柄も何もかもが、初めてこれを手にした時そのままの姿であって。
エミリオの顔を見上げる。何度も何度も、確かめるように懐中時計とエミリオを見比べて。
「一度渡したからこれはもうのものだろうが、これ以上に贈れるものが思いつかな……」
「……っ……」
ぎゅっとエミリオの体に掻き付いた。
驚いたように息を飲んだ彼の体温がすぐ傍にある。
――――私の命を救ってくれた懐中時計。壊れてそのままになっていた懐中時計。エミリオから贈って貰った、世界にたった一つしかない懐中時計。
「………直してくれたの、ハロルド?」
「ああ」
「あとでお礼言わなくちゃ」
「言ってやれ」
「………うん」
思わず涙声になってしまったのは、多分バレている。肩に顔を埋めて、それでも私は言わなければならない言葉を告げた。
「……ありがとう。この子が帰ってきてくれて、本当に、本当に嬉しい……」
この懐中時計がなければ、きっと私はここにはいられなかった。
絶望の最中、それでも生きろとエミリオが伝えてくれたと思った。あんなどん底の中で、私に意味を与えてくれた。
その懐中時計を他でもないエミリオが直そうと決めて、もう一度私に贈ってくれたという事実が私の胸を打ち震えさせる。
「大事にするね……もう、壊さないから」
「ああ。そうしてくれ。………もう、壊れることがないように、僕も傍にいるから」
「うん……うん……!」
もう一度ぎゅっと、エミリオにしがみ付く。
そうすると少しだけ冷たい手のひらが私の頭を小さく撫でてくれた。
生まれた日を誰かに祝福してもらえる。それってとても素敵なことで、こうやって誰かが傍にいてくれるから私は今立っていられる。
…………ああ。
エミリオの匂いをいっぱいに感じながら、瞼を閉じる。
この幸せな時間を、大切にしよう。
素敵な仲間たちと、誰よりも大好きな人が傍にいる幸せをちゃんと噛みしめておこう。
たとえ限られた時間の中でも、そこには確かな意味があるはずだから。
「ね。……ナナリーとロニが作ってくれたご飯、まだ残ってるの。一緒に食べに戻ろうよ」
「………そうだな」
「でもあとちょっとだけ。……もうちょっとだけ、くっつかせて下さいな」
「暑いぞ」
「……全身黒ずくめだから暑いんだよ」
「そういうものか?」
「そういうものなの」
くすりと笑う。
ここが宿屋の中だとそんなことはどうでもいいの。
暑さは服のせいなんだと言い聞かせて、私はもう少しだけエミリオの体温を存分に感じることにした。
あと5分だけベッタリしたら、皆のところに帰ろう。
そこには私たちの席が、ちゃんとあるんだから。



END










11.7.23執筆